<リヒター展を見に行った>
<リヒター展>
今日はゲルハルト・リヒター展に行ってきました。
リヒターの作品を見るのは今回で三回目だったかな、、、
以前、六本木にあるギャラリーでストライプ作品やガラス作品を見ている。
また、あるコンサート主催者から頂いた(あるいは借りている)「Snow-White」という画集が手元にあって、結構気に入っている。
なんだかんだ作品群を見歩いたり、写真を撮ったり(撮影自由というのは素晴らしいね)、解説を聞いていたりしていたら、あっという間に1時間半が経っていた。
解説についているBGMにライヒやケージが使われていて、作品鑑賞に相まって、結構楽しめたのだ。
ふだん美術展に行くと、1時間も見ているとヘトヘトに疲れちゃうのだ。
芸術家たちは作品の一つ一つに、それなりに深い想いを注ぎ込む。
そんな作品が所狭しと並ぶ美術展は、鑑賞するのにかなりの労力と集中力が必要だ。
リヒターの作品は、良い意味で想いが希薄なせいか疲れなかったし、色々面白がってみることが出来た。
解説を聞いても、作品の作られる背景が、それほどの比重があるのではなく、なんらかなの制作上の思いつきが説明されていて、だからなんの?的な受け止め方で聞き流すことができる。
もちろんリヒターに想いがないわけじゃない。
東ドイツ出身の彼にとって、例えばアウシュビッツの写真が題材になったり、近親者をテーマにしていたりするのも頷ける。
ただ、かれはそれを題材にするとき、ある意味リアリティーをもたせることに、強い抵抗があるのだろう。
題材から始まって、抽象化されていくプロセスで、すっかりリアリティーは薄められて、ある無機質な感性だけの抽象画になって行く。
それでも、その作品の背景にはリアリティーがあることを説明せずにはいられない作家がいるのだけど、、、
「ゲルハルト・リヒター財団」なるものがあるぐらい彼は巨匠だ。
現代絵画の巨匠になる要件は、有り余る創作意欲と、強い自己意識だ。
現代芸術シーンは詐欺だと言い切ってしまう前に、彼らの熱意を楽しみたい。
あらゆる芸術作品が、何らかのコンセプトやストーリー性というものを廃して、純粋な作品として社会が受容することなどありえない、と云うのは私の決めつけなんだろうけど、、、
現代絵画はリア充であってはならないというマーケットの要請もあるかもしれないけど、、、
そんなこととは別に、リヒター作品のクリエイティビティーを楽しめたということでは、とても楽しい充実したひとときだった。