みなも【ショートショート】
第17回坊っちゃん文学賞応募作『みなも』
みなもとの出会いについて語ろう。
なんていうと、きみがまだ知らない言葉かもしれないし、水面を頭に思い浮かべたかもしれない。ぼくも最初はそうだった。
みなもは、この夏にぼくが出会った女性の名前さ。素敵な名前だろう?
あれは、夏の始まりにふさわしい快晴の日だった。
毎日、砂浜で海を眺めるのがぼくの日課でね。あの日もいつも通りのルーティンのはずだった。イレギュラーな出来事は突然、起こるものだね。
砂浜を歩いていると、女性が倒れていたんだ。この辺りじゃ見かけない顔だったから、漂流者かと思ったよ。けど、長い黒髪は濡れているのに、着ていたエメラルドグリーンのワンピースは濡れていなかった。
何度も呼びかけていると、女性は意識を取り戻した。
目を開くと、その瞳は神秘的なブルーホールのような深い青色で、思わず吸い込まれそうになった。
「無事でよかった。一体、何があったんですか?」
ぼくの問いかけに、女性は何も答えず、じっと海を眺めていた。
「みなも・・・・・・」
しばらくして、女性は自分の呼吸を確かめるように、そう名のった。
最近、この離島にきたらしく、この砂浜を散策中に、急にめまいがして倒れたのだと、みなもは説明し、ぼくもそれ以上は追求しなかった。なんとなくだけど、その先は足のとどかないような深さな気がした。
さっきから彼女のことを、よく海に例えてしまうけど、みなもは本当に海みたいな人だった。
「これまで父の仕事の都合で、色々な海を見てきたの。海の生き物たちの楽園パラオや、美しいサンゴ礁が広がるグレートバリアリーフ、エーゲ海に浮かぶサントリーニ島の白壁の街並みも素敵だったなぁ。水路をゴンドラで移動するベネチアも忘れられないでしょ。それから・・・・・・」
まるで世界中の海をすべて見てきたかのように、彼女の語る世界地図は広く、海への愛情は深いものだった。
「明日もここに来てもいい?」
別れ際には、みなもはすっかり元気になっていた。
「もちろんさ。ここはぼくのプライベートビーチじゃない。好きなときに、好きなだけいればいいさ。ぼくはそうしている」
そういうと、みなもは頬をサンセットのように赤く染めて、帰っていった。
それから、ぼくたちは約束するわけでもなく、この砂浜で顔を合わせるようになった。
互いに静かに海を眺める日もあれば、一緒に砂浜を散歩する日もあった。
ただ、海に入ることはなかった。波打ち際まで近づくことはあっても、ぼくとみなもは、海との間に無意識に距離をとっていた。とくに理由は尋ねなかった。みなもも、ぼくに尋ねてこなかった。そんな余計な心配も、いつの間にか波音が洗い流してくれた。
みなもと出会ってから、二週間がたつと、あることに気がついた。
あれは、一緒に砂浜でごみを拾っていたときのことだ。
「どうして、ごみを捨てるんだろう。波はごみだって知らないで、海に持ち帰っちゃうのに」
穏やかな口調のみなもが、珍しく怒りまじりに話すと、波の砕ける音が大きくなったような気がした。
みなもがつけていたピアスの片っぽがなくなったのも、その日だった。貝殻で作られたハンドメイドのピアスで、二人で町の土産物屋にいったときに、ぼくがプレゼントしたものだ。
「もう波が持って帰っちゃったかなぁ」
みなもの表情の雲行きがあやしくなると、海の波も高くなりだした。感情には波があるというけど、みなもの波形と海はまるで繋がっているみたいだった。
「大丈夫だから。ちょっとだけここで待っていて」
とにかく、みなもを安心させないと。ぼくは、歩いてきたコースを引き返すと、砂に埋もれかけていた貝殻のピアスを拾い上げた。
「ありがとう。もう見つからないかと思った・・・・・・」
「この砂浜はぼくの庭みたいなものだからね。ごみとかも探すのうまかっただろう。特殊能力なんだ」
ぼくは、みなもを笑わせようと得意げにいってみせた。
みなもが笑顔になると、海はきらきらと輝く穏やかな海へと戻った。
ぼくの時間の大半をみなもが侵食していることに気がついたのは、夏も終わりに近づいたころだった。月の引力に引っぱられて潮位が上がるように、みなもへの気持ちが高まってきていた。
そんな時だった。
その日は、風も強くて、いつ雨が降ってもおかしくないだろうなと思っていた矢先、ぽつりぽつりと降りだしてきた。一旦、降り始めると雨足は強くなって、近くのぼくの家で雨宿りをすることにした。
海沿いに建てられた白いペンキで塗られた一軒家がぼくの家だった。
玄関先につくと、ぼくの体はずぶ濡れで、雨の日は体が重くなるぼくは、とてもしんどかった。
「大丈夫?」
「少し休めば平気さ。何もないけど、ゆっくりしていってよ」
ぼくの部屋の棚には、流木やら、貝殻やら、シーグラスやら、海から流れてきたカラフルな瓶などを飾っていた。みなもはそのひとつひとつに触れると、何かを読みとるようにじっくりと見ていた。
ぼくは洗面所へと行き、シャワーをひねった。ドライヤーで髪をかわかすと、だいぶ体調も復活した。
その日、雨はやむことがなく、みなもは泊まっていくことになった。
ベッドはみなもに譲り、ぼくは床に布団を敷いて横になった。
窓を閉めているのに、海をかきまぜるような激しい波音はここまで聞こえてきた。同時に、ぼくの心も落ち着いていなかった。
「ねぇ、こっちで寝ない?」
なので、みなもの発した言葉の意味を理解するまで、だいぶ時間がかかった。
いわれるがままにベッドへと寝ころがると、仰向けのみなもと目が合った。
近い。ぼくたちは狭いベッドに二人して窮屈な体勢で横になった。天井から見たら、ぼくたちの体の線は海岸線のように入り組んでいたかもしれない。
おもむろにみなもが手を伸ばし、ぼくの手に触れた。
ぼくが握り返したその瞬間、潮の香りが強まり、ぼくは海の底にいたんだ。
舞い上がる砂、小魚の群れ、水面の光。
ぼくは海流にのって、海を旅していた。
海には様々な表情があった。
場所によって、色も、匂いも、生態系も違った。
ウミガメが泳ぎ、大きなジンベエザメが魚群を丸飲みする豊かで美しい海もあれば、誰にも知られることなく、独自の進化をとげた生き物の暮らす真っ暗で冷たい海もあった。
ときに、海は人の生活を奪いさって、ときに、人は海を油まみれにして傷つけた。
ひとつの海の中に様々な表情と物語が共存していた。
はっと意識が戻ると、そこはぼくの部屋のベッドの上だった。
「きみはやっぱり・・・・・・」
ぼくがいいかけるよりも早く、みなもは背中をむけてしまった。
「おやすみ」
さっきまであんなに近くに感じたのに、もう遠く沖のほうへとひいてしまったみたいだった。よくも悪くも海みたいな人だ。そして、魅力的な人だと、ぼくは改めて思った。
翌朝、みなもは何もいわずにいなくなっていた。
砂浜にも姿を見せなくなった。昨夜、ぼくはみなもの正体に気づいてしまった。彼女はやっぱり海だったんだ。それをぼくに知られたからいなくなってしまったのか? いや彼女はぼくに伝えたかったんだ。そして、彼女もぼくのことを知りたかったんだ。おかげでぼくも自分のことを思い出せた。数日間、そんなたくさんの想いが、海の波間に浮かんでは沈み、泡となって消えた。
ある晩、ぼくはいつもの砂浜へと向かった。
ビーチサンダルを履いた足裏に力が入った。ぼくはまっすぐ波打ち際へと歩いた。
ぼくの胸のうちに気づいているかのように、波が手招いているようだった。波がぼくの足に触れた瞬間、足首をつかまれたような感覚がした。一瞬のうちに、ぼくは真っ暗な海へと引きずりこまれた。浅瀬の海でぼくは波に揉まれた。懐かしい感覚だった。このまま、海に流される。そう思ったとき、ぼくは後ろから誰かに抱きかかえられたんだ。
朦朧とした意識で、砂浜にたどり着いたところで気を失った。
目が覚めると、炎の揺らぎが見えた。たき火だ。
「無茶するんだから」
助けてくれたのはみなもだった。うまく体が動かない。それもそうだ。ぼくの腰から下の砂は波にさらわれてしまい、かろうじて上半身だけが残っていた。たき火の熱で少しかわいて意識が戻ったのだろう。
「助けてくれたんだね。こんな格好でなんかごめん」
「あなたといると心が落ち着く理由がわかった。あなたはずっと私の中にいた」
いつもの笑顔の彼女だった。
「思い出したよ。ぼくもずっと海を旅してきたんだ。ぼくの体の砂には、海を旅した記憶や、長い年月をかけて削られた記憶もまざっているからね。一度でいいから、地上の暮らしをしてみたいとぼくは願っていた。何百年、何千年、何万年と思い続けているうちに、この島にたどり着いたんだ。人間の姿をして、浜に打ちあげられていた」
「私と一緒だ。私もあなたと同じ。何万年とそう思い続けていたの。そして、この島にたどり着いて、あなたと出会った。奇跡みたいな話ね」
みなもは崩れかけたぼくの上半身を抱きしめるように横になった。頬には涙なのか海水なのかわからないものが光っていた。どちらにせよ同じかと思い、目をつむった。
波の音を聞きながら、ぼくらは眠りについた。
目が覚めると、みなもの姿はなかった。というよりも姿が変わっていた。みなもの海水でできた体は塩になっていた。たき火にあたためられてなのか、自ら選んだのかはわからない。ぼくも目が覚めると、ただの砂のかたまりに戻っていたんだ。
とまぁ、今、崩れた砂のぼくと塩になったみなもを、不思議そうに見ているきみに話してみたわけだ。
おそらく、聴こえてはいないだろうけどね。
みなもの貝殻のピアスを拾ってくれてありがとう。波にさらわれて、海に持っていかれるのは心苦しいところでね。大切にしてくれるといいな。ほら、パパとママが呼んでいるよ。さようなら。
ぼくのつま先に波が触れた。もうすぐ、帰る時間だ。
なぁ、みなも。陸の土産話を仲間たちにきかせて周ろう。地上を知らない真っ暗な海の底までさ。
(了)
坊っちゃん文学賞応募作『みなも』を振り返ってみる
久しぶりのnoteの記事となりました。エンタメショートショート作家のそるとばたあです。
『ミュージシャンが曲を作るように物語を書く』をコンセプトに体感できる物語作りや、既存の音楽からイメージを広げたミュージックショートショート(以下MSS)作りに挑戦したりしております。
自己紹介もほどほどに、今回投稿した作品は先日、最終審査通過作品が発表になりました第17回坊っちゃん文学賞に応募した作品です。
結果は昨年に引き続き、桜の花弁が春風に吹かれてはらりと舞い散るように落選だったのですが、書いたからには誰かの目に触れる場所へと残そうと、久しぶりのnote記事を書いています。
#変な比喩でぼかすな
執筆時から時間も空いて客観的に読めるようにもなった頃なので、ここからは改めて作品を振り返ってみて、次作に生かすための備忘録的に書いていこうと思います。
まず、今回は応募するにあたって執筆前にひとつ決めていたことがありました。
それは『海』をテーマにした物語で書くということでした。
これに関しては、たまに自分の中でONになる変なスィッチが入りました。
包み隠さずに言ってしまえば、あえて差別化しにくいもう死ぬほど擦られたであろうテーマ、坊っちゃん文学賞審査員長でもあるショートショート作家の田丸雅智さんの代表作『海酒』のテーマで最も厳しい目を向けられるであろう『海』で勝負やぁ!という謎のスィッチ。
#太字にするのも恥ずかしい
#そして見事に玄界灘に散る
#否、限界だな
とはいえ、人を楽しませたいというエンタメショートショート作家としての想いもあるので、『海』の女の子と『砂』の男の子が陸でめぐり逢うという物語を書いてみたわけです。
そして、今回の結果を受けて、時間が経ってから改めて作品を読み返してみて、前回の応募作とも共通したある問いが頭に浮かんできました。
『ショートショートというよりショートストーリーじゃね?』
前回の応募作は、背中からプラグがのびた男女の共同生活のお話で、充電しないと記憶が消えてしまうという物語でした。
#肉体の死ではなく自我の死
#しれっと宣伝
どちらの作品もひとつのアイデアはあるけど、アイデアを活かしきれていない。
ストーリーやシーン作りに寄ってしまったなぁと(ハイライト作りが趣味です)。
いや、もちろん単純に文章や表現力など実力不足な点は多々あるのですが、そういう要因もひとつあるかもしれないなと(仮説)。
これを収穫ととらえて、今制作初期段階の電子書籍『zoo』の収録作品で、改めてアイデアを活かした物語作りにも挑戦していきたいと思っています。
#とにかく書くしかない
#この作品はこの作品で好きだよという方 、好きです
『みなも』執筆時に聴いていた曲
最後に、今回応募作『みなも』を執筆する上でよく聴いていた曲があります。
スピッツの『みなと』という曲です。
曲タイトルを見て、察しのいい方はもうお気づきかとございますが、作品のタイトルはここから来ています。
#全員気づいてるわ
MSSを作る時のように、曲の歌詞から物語を広げてはいないのですが、それでも物語の節々にこの曲の雰囲気やことばが影響していたなぁと改めて思います。大好きな曲です。
と、まとまりなくここまで書いてきましたが、今年もまた作品は応募しようと思っています。
あと、今年こそは締切に余裕をもって送りたいなと(笑)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!