ジョニー・デップとアンバー・ハードの裁判

朝からずっと、裁判の様子を見ていた。いろんな話を聞いているうちに、色々考えさせることがいっぱいだった。私自身も元彼からのドメスティックバイオレンスの経験者、もちろん、旦那ともしっかり大げんかをしている、既婚者。ジョニー・デップが質問に答えることろで、色々なことが心に刺さりました。いわゆる裁判所で弁護士が、一本調子の言い方で、「あなたはコカインを使いましたか、スピードを使いたか」などなど、直球で質問をしていきます。その時、ジョニー・デップは、「はい」「いいえ」などはっきりと答えていく。このやりとりも面白い。ジョニー・デップは15歳までの間に市場に出ているドラッグは全てやったと淡々と答えている。自分がしたこと、それについて、隠すことなく答えていく、そして、やっていないことはやっていないという、静かな声で答えていくジョニー・デップは演技をしているのかなと思えるほど、冷静だ。だけど、私には、彼は事実に向き合って、これを解決したいという気持ちが出ているように思えた。とても素直に率直に隠し事なく、気持ちや出来事を伝えっていくジョニー・デップ。時々、彼にも答えにくい問題を一つ一つ言葉を選んで答えて行く様子を見て、ジョニー・デップという人を少しわかるような気がした。ジョニー・デップであり、一人の人間。感情豊かで、そして、優しい人。

アンバーに対してのコメントにも、「自分が信用して、自分の全ての秘密を伝えた、愛した人」と言っているところなど、正直で、優しい感情を持った人だなと思った。長い付き合いで、人というのは、いろんな自分の弱い部分や、嫌なところを見せて、そんなでも、付き合いは続いていく。それは、誰でも一緒ではないのだろうか。確かに、暴力はいけない。暴力はしていないと反論しているけど、暴力に発展してしまっている、夫婦やカップルもいっぱいいるのではないでしょうか。これをビデオや、音声に取られ、発表されて、真実であれば、いいけど、それが誇張されたもの、もしくはわざと触発されたものである場合も考えられる。裁判所で、相手がこういった、相手がこう言ったから、などと、永遠に終わらない喧嘩。それをジョニー・デップは人間の関係について、どこの家にもある揉め事、それを週刊誌などに大袈裟に書かれ、自分以外の家族をも巻き込んで、それをここで決着つけたいのだと思った。ジョニー・デップ昔からの知人が証言した画像では、ドラッグを乱用、アルコール中毒による問題について、ジョニー・デップの昔のドラッグの乱用や、子供の頃の母親からの虐待など書かれ、ジョニー・デップだけでなく、それに巻き込まれた全ての人にとって、これはフェアではないと言っている。彼は涙ながらにそれを語り、アンバーにも"I wish her luck"これを終わりにして、次へ進むべきだと言っている。

彼が母親の死に際の様子を描写しているところは、見て欲しい場面。彼の人間らしさ、優しさがあらわれている。人が親や、愛する人の死に際にたち思うように、彼自身が彼の言葉を一つ一つ丁寧に選んで話している。数十秒の沈黙の後、not good, not good at allと話し始める。言葉を探しながら、その時の様子を思い出している感じを受けた。"She was pretty much incapable speach" " Her eyes were still open"など
"She lay there" 母親の最後についても言葉たくさん選んで話している。話ができない状態。目はまだあいていた。彼女はそこに横たわっていた。など母親が死ぬ間際でほぼ生きているとは言えない状態にいること(⇦私もうまく表現できません)を死という言葉を使わないように説明していた。自分の気持ちを改めて確かめながら。"Excuse this analogy.."僕の例えが悪かったらごめんなさいと、母親がたくさんの医者や看護師に囲まれ、横たわっている状態を皮肉に"deli platters"と例え、つらく、悲しく思い、息を引き取った時に、安堵したと。何とも言えない難しい心の描写を細かく、心遣いながら説明するところは心が痛かった。私も父親を亡くした時に思ったことを彼が説明してくれかのように思えた。

皆さんはこの裁判をどう見たのでしょうか。ゴシップはあまり好きではないのですが、まるで映画を見てるかのようでした。



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