長屋感覚 団地イズム
昭和40年生まれ。たまプラ育ち。
そう、たまプラーザ団地1期生の大人たちのコドモである。出来立てホヤホヤの団地に引っ越してきた昭和43年(1968年)の春は12月生まれの自分はまだ2歳。住んでいた5-9棟のベランダからは右手に山が見えた。
あれから50年。思い返せば高校生になる頃に隣町に引っ越して、大学生になり、社会人になり、家を出て、そして自分にも家族が出来て、コドモを育てて、そのコドモが成人して……、何だかいろいろと一巡した感があって、今、たまプラーザ団地の頃がシミジミと懐かしくもあり、また、当時の感覚を改めて大切にしていきたいと感じるようになった。(年取っただけか?)
▲写真▲ 2016年9月 たまプラーザ団地5-1
~50年前との違いはダストシュートの色くらいか。全部白になっている~
団地というのは、自分が寝ている数メートル先の上にも下にも右にも左にも他の家族がいる集合住宅が、これまた同じデザインで何十棟も隣接して並んでいて(ウチは1階の端っこだったので下と片側がないのでその半分だったわけですが…)、よく言うような「ご近所さんに醤油を借りに行ける距離感」でみんな文句も言わず平々凡々と生活していた。あんまり昔を美化して語るのは好きではないが、何だか大切なものがその当時に置き去りにされている感じがしなくもない。
▲写真▲ 1975年頃のたまプラーザ団地
夕方、豆腐屋が団地の中をプゥ~パァ~ってラッパ鳴らしながらゆっくりライトバンを走らせていると、団地からボウルを持って母親だったりお使いのコドモだったりがゾロゾロ出てくる。遊んでいる最中の小学生は、意味もなくその豆腐屋さんのゆっくり走るクルマを全力で走って追い抜かしてご満悦な笑顔を見せていたりして、豆腐屋さんは豆腐屋さんで「また、こいつか」といった表情で「危ないよ!」なんて面倒くさそうに叱りつけてる。
▲写真▲ 1970年 団地の日常。5-9の前の通り。後ろに写っているのは6-5
ご近所さんとのほど良い加減の距離感で過ごせるあの頃の団地ならではのムードは、まさに昔の長屋感覚と同じなのだろう。干渉しすぎるのは今も昔もNGだろうけど、まったくスルーというのもドライ過ぎていただけない。なんとなくご近所同士が寄り添っていて、近所のコドモがイタズラしていたら周りの大人が躊躇なく叱れるあの当時の空気というのは今こそ必要な気もする。
昔は団地には棟ごとに焼却炉があって、稼働中にもコドモ達がそこに近づいて、発砲スチロールを燃やすとスゲェ臭いんだ、とか変なことを自力で学んでしまうくらい危険な状態とコドモの生活圏が隣接していた。それだけイタズラしやすい環境だったから大人たちも叱らざるを得なかったのかもしれないけど。
ただ、その一方で、何にも悪いことしてないのにやたら怒鳴り散らしてくる謎のオジサンもいた。コドモ達からは「コラ爺い」なんて呼ばれていたが、これはまた別。「怒る」と「叱る」の違いもこの当時になんとなく学んだような気がする。
2018年の今、たまプラーザ団地では「まちなかパフォーマンス」の第5弾「ダダンチダンチ」(※http://tamapro.wp.xdomain.jp/)というプロジェクトが進んでいるそうだ。
たまプラーザ団地に住んでいる有志が「まちと人、人と人をつなぐ」という思いで活動を続けている。その名の通り、パフォーマンスすることを軸足にしているようなので、人によってはとっつきにくさを感じる部分もあるかもしれないけど、どこかに書かれていたようにコンセプトの本質には「育ちあい」というのがあるプロジェクト。
そう、先ほど長屋感覚とか団地イズムなんて言葉を使ったけど、要はご近所さんとのつながりでお互いが「育ちあう」という感性はいつの時代にも大切にしておきたいし、そう感じている人が出てきたんだなぁ、と思うと何だかやはり地元が誇らしく思えてくるのだ。ちなみにその宣伝用のフライヤーには、協力団体として、「いずみ文庫!」という文字があって、こちらも見逃せない! 団地の集会所にあった図書館、超懐かしい~。これはまた別の機会に~。