こうして英語に出会った②
英語力ゼロで
学校生活を送るには、
観察力がものを言う。
同級生の言動に注目して
いると、学校の掟みたいな
ものが少しずつわかってくる。
「トイレに行きたく
なったら、授業中で
あっても申し出てよい」
「中休みや昼休みは、
大雨でない限り、
全員校庭に出て遊ぶ」
「意地悪そうな子は、
お友達に話しかけられると、
‘So what??’と強い口調で
答えることが多い。」
などなど。
固定の時間割
(カリキュラムは
あったんだろうけど)
もなく、持ち帰る
教科書もない。
決まった席もないし、
ランチタイムは
お弁当でも給食でもOK。
明日の時間割すら
未知というスタイルの
学校に通うことに、
私はどんどん馴染んで
いった。適応力は
高かったのだと思う。
というより、その方が
心地よかったのかも
しれない。
さて。
海外生活を送り、
学校に通っていれば
自然と英語ができる
ようになるというのは、
まず、ない。
英語を吸収しやすい
環境であるのは確かだが、
私の成長や進度に合わせて
授業が進むわけではなかった。
外国籍の子であっても、
容赦なく音読、九九、
単語スペルテストが
定期的にあった。
これはもう大変。
読めない、書けない、
言えないことを毎回
みんなの前で表明
しているみたいで、
自分が情けなく
苦痛だった。
九九は、答えはわかるけど
英語で早く‘nine times nine
equals eighty-one’とか
言えないのだ。
子どもの集団という
ものは国を問わず
残酷な面もあるので、
英語力の低さや発音の
曖昧さをからかわれたり、
あきられたりした。
露骨に笑われると、
悲しかった。
一方、リコーダーを
吹いたり、絵を描いたり
すると、先生が純粋に
誉めてくれた。ちょっとした
イラストを書いて
お友達にプレゼントすると、
喜んでもらえた。
クリスマスには、校内で
カードを描いて送り合う
習慣があったのだが、
別の学年の人たちから
「カードに絵を描いて
送ってほしい」と
頼まれたときは、
天にものぼる気分だった。
好きなこと、
得意なことが
自分を助けてくれた。
この体験は
今の私の軸になって
いると思うし、
運営している英語教室でも
とても大切にしている
点である。
話は戻って。
その学校に転校して
6~7ヶ月経ったころ、
霧が晴れるように授業が
わかってきた。
lemonadeが読めた。
musicが書けた。ESLの
クラスにも呼ばれなくなり、
ようやくクラスの一員に
なれた気がした。
つづく。
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