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「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」 第5回 ナイアガラ・トライアングル レコーディング パート2

『ナイアガラ・トライアングル』のミキシングは1976年2月に行われた。
大滝はコロムビア・スタジオ内でミキシングを行った。

コロムビアのミックス室

「谷さん、相談があるんです。アルバム曲のミックスは、自分がやってみたいと思うんです。」
「素人のヤツがコロムビアのスタジオでは作業は出来ない。コロムビアには、管轄のミキサーがいると話しただろう。実際、そのミキサーも紹介しているだろう。」
大滝から相談を持ち掛けられた谷川は、冷たく返答した。

大滝は、エレックから出したアルバム『ナイアガラ・ムーン』などで、笛吹銅次として自分自身でミックスを行ってきた。今回もミックスを続けたいというコダワリがある。しかし、会社には、コロムビアで働いてきたエンジニアがいて、彼らのプライドがある。

「でも、自分でやってみたいんです。」
「わかった。しゃーないなぁ。コロムビアのスタジオでもお前にやらせてやる。そう頼んでみるよ。」
大滝の懸命さにほだされて、谷川が折れた。

どうやってミキサーに話そうか、谷川が思案していたところ、
「ミックスの時には、自分のスピーカーを持ち込んでいいですか?」
大滝は、さらに提案を重ねてきた。

「うーん…。ケンカになるだろうけど、持ってきたら?俺がなんとか言ってやるよ。」
谷川は、コロムビアのミックス室を好きなだけ大滝に使わせようと覚悟を決めた。

谷川自身は、FUSSA45スタジオにあるスピーカーから出る音ではなく、コロムビアのスタジオにあるスピーカーから出てくる音を信じている。そして、ミキサーもカッティングのエンジニアも音のプロだから、バランス感覚をみんな持っていて最後の調整を行っている。

谷川から彼らに「低音を強めに出して」など、多少は伝えることもあるが、朝から晩までそれを仕事にしている技術者の世界、信頼しているからこそ、ディレクターであっても、ミキシングにあれこれと立ち入ることはない。

それでも、大滝が言っているところの思いや音像は、大滝にしかわからない。今回はプライベート・レーベル"ナイアガラ”からの発売だ。谷川は、大滝の感覚を信じて、その願いをかなえようと思った。

ミックス当日、大滝はスピーカーを持参して、コロムビアのミックス・ルームを使えるのを待っていた。

谷川がミキサーにかけあって、スピーカーをつなぎ、大滝にコンソールに座らせた。ミックスをしはじめると、扉を閉めて、まるで自分の席だったかのように調整卓をいじりはじめ、外の世界に誰がいるかなど気にせず、ミックス作業に全力を集中させている。

大滝がミックスをしている最中、谷川はミキサーから呼びだされた。

「お前がどうしてもって言うから、我慢して手伝ってやったけれど、いきなり入ってきて、あの生意気な態度はないだろう。」
ミキサーは谷川に向かって、一方的にまくしたてた。

「“俺の部屋”を使うんだから、こういうのは普通、最初に本人から話があってからだろう?大滝のところの原盤なんだから、何もコロムビアを使わずに、外のスタジオでやればいいだろう。だいたいあのスピーカーはなんだよ。うちにもスピーカーはちゃんとある、4つもあるんだぞ。」
ミキサーの腹立たしい気持ちは、憤りの声となって谷川にぶつけられる。

「ごめんね。俺がやるってことは、コロムビアがやるってことなのさ。明日の晩、俺がフォンテーヌで飯おごるから。一緒に飲もうぜ!」
ミキサーからの話は、自分が壁になって守るところだ。

「オレ、酒飲めないけどフォンテーヌは飯がうまいから、まぁ、いいかぁ」谷川は一人ごちた。

コロムビアのカッティング室

次に会ったときに、大滝には前回のミックスのいきさつについて話をした。
「こないだのスピーカーは、お前が音を聞くために持ってきたんだろう?『是非ともこのスピーカーで”鳴かせたい”んですよ。お願いします。』って、お前が事前に言わなきゃ。俺は俺でちゃんと言って、許可もらっておくからさ。」
谷川は、もの柔らかに話した。

「それは、谷川さんの仕事でしょう。」
大滝は、そっぽを向いてつぶやいた。

「それは違うだろう、どこに信頼感を置くかということだよ。今回のことは、お前が納得したいがための信頼感を得るためだろう。コロムビアはコロムビアでベストのことをやっているんだから、お前からミキサーに直接言わないと。俺がお前のことをベストでないといったら信頼感がなくなるだろう。お前からいえば、『じゃぁ分かった、一回聞いてみたら?』ということになるから。」
谷川は、対抗するように言葉を重ねた。

普段の谷川であれば、大滝からの依頼は多少の無理でも「わかった。」とか「おれが話をつけておくので任せといて。」とか伝えることが多いが、今回の件については、長年付き合いのあるコロムビアの職人の立場を分かってほしいと思うと、ついつい説教めいた言葉が続いてしまう。

この世界で何十年も仕事をしている職人気質のミキサーが自分の卓を他の人に触られたくないという気持ちは、今、自分の音楽を作ることに夢中な大滝に伝えても、なかなか分からないかもしれない、とも谷川は思った。

次に控えているカッティングでも、同様の事態がおきないように、大滝の満足するようなカッティングが出来るよう、谷川は録音部のエンジニアに先に筋を通した。

コロムビア2Fの奥にあるカッティング室で、シングル盤「幸せにさよなら」のカッティングをしたが、エンジニアは、ラジオでかかる時にも耐えるように洋楽並みの音圧を欲しいという大滝・山下の要望に快く応じて、レベルを最大限上げたので、一度は途中で溝が無くなった。

音源があらかた出来上がったアルバムの発売前に、大滝が不快な思いをすることがないよう、谷川は、コロムビア側の意向をつぶさに知らせることもなく、いつも明るくふるまっていた。

それは谷川自身のプライドでもあった。


<一言コラム> 日本コロムビア本社 <2021.12.13>
(別ページにリンクします)


はい、いかがでしたでしょうか。

今週は「ナイアガラ・トライアングル レコーディング パート2」でした。

次は「ナイアガラのパッケージ・デザイン」を予定しております。
『ナイアガラ・トライアングル』からシングルカットされた「幸せにさよなら」のジャケット撮影の様子などについて、ご紹介したいと思います。

それではまた、本NOTEにて。Bye Bye!

2021.12.13
霧の中のメモリーズ

「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」
はじめに <2021.10.25>
第1回 プロローグ(舞台袖の谷ヤン) <2021.11.15>
第2回 コロムビアレコード移籍 <2021.11.22>
第3回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング <2021.11.29>
第4回 『ゴー・ゴー・ナイアガラ』放送終了危機<2021.12.06>
第5回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング パート2 <2021.12.13>
第6回 ナイアガラのパッケージ・デザイン (Coming Soon!)

【一言コラム】
豊川稲荷 <2021.11.29>
日本コロムビア本社 <2021.12.13>