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今の仕事を選んだ理由3

理事長になることを承諾すると決めるまでに、考えたことがある。
その仕事、本当にやりたいのか。
最後の仕事になるかもしれないが、迷いはないか。

① この地域で生まれてもいない、育ってもいない、住んだこともない、5年間しか働いたことしかない私を地域の方が受け入れてくれるのか。

②旅行は大好き、特に一人旅で出会う人との一期一会を大切にしたい、そんな旅が好きな自分。以前同じようなことがあり、繰り返したくない。
好きだけでは続けられないこともある。
観光そのものに仕事として関わったことがない私に観光協会の経営、運営ができるのか。

③観光やホスピタリティについて勉強したこともない、英語もあまり話せない、資格も持っていない私に観光について語れるのか。

④年収は下がるし、雇用保険もなく、理事長を退任した際の保証はない。将来の生活設計は大丈夫か。

それらを一つずつ、これまでの経験などと照らし合わせて、迷いや不安を潰し、自分にしかできないこと、自分だからこそできることを考えた。そして、自分の中の葛藤と戦い、折り合いをつけ、気持ちの整理をした。

この結果が以下のとおり。

①たかが5年間だか、このまちで働き、自分なりのネットワークを作ったつもり。信頼できる人、そして私を信頼してくれている人が少なからずいる。だからゼロからのスタートではない。だからなんとかなるだろう。

②組織運営、財務管理などの経営面はこれまでの仕事の経験である程度はカバーできるだろう。正直、スタッフのスキルはわからないが、育成していけるだろう。

③この組織に求められる目的を正しく理解して、自分なりに観光協会としての役割認識をしっかり持っておくことが大切であり、ブレないこと。
また、行政の方針を理解し、それを具現化するための取り組みについて、自分なりに考えておくこと。
そして時間を作って、観光に関連する資格取得や研修やネットワークを作ることで、観光における専門的な知識や知見を持ち、活かせる環境を作ることができれば、なんとかなるだろう。

なんだか、ここまで全てなんとかなるだろう。でいいのか。

④最後のこれが一番、厄介なことだった。ある意味、退路を断つに近い。主人とは年齢も離れており、既に年金生活者。生活の支えは自分。今の生活のレベルを下げられるか。

その時はそれほど考えていなかったが通常、観光協会の理事長職は名誉職に近く、理事も含め無償のところが多い。
事務局ならともかく、専任理事長として、給与を、払うには総会決議が必要。
そこで、通常ありえないことだが、事務局長を兼務することで、年収についても最低限の確保を交渉しよう、
と、考えた。
実際、経営の立て直しをするには、実務に大鉈を振るわなければならないだろう。そのためには事務局長も自分が兼務することの方がやりやすいと考えた。

そこで条件として、それを出すことにした。

実は、前職の会社へ、ヘッドハンティングで入社する際も年収のやり取りがあった。安く見られているな。という思いもあったが、新しいことにチャレンジしたいという思いの方が強かった。

キャリアアップとは、年収がどんどん上がっていくのが当たり前と思っている人もいるだろう。
私も当時はその一人だった。

しかし、まだまだ40代前半、頑張れるし、大丈夫だろうとの甘い判断もあった。人事役員、社長、会長と面談し、この人たち、本当に私を必要としているのであれば、それに応えたいという思いもあった。

しかしその考えは甘かった。親会社の力が強く、しかも素晴らしく男尊女卑。女性の活躍を表面では称えつつも、実際は違っていた。途中で人事制度が変わったといって年収を下げられ、自分なりに成果を上げても認められない。
とうとう11年働いて、年収の上げ下げはあったが、11年前と比べて50万円アップしただけ。実際、私に能力がなかったのかもしれないが。

結局、下がり続ける年収や評価されないこと、社風に飽き飽きしていたことも、私の背中を押すことになった。

当時の人事本部長や執行役員と退職の面談をした際に言われた一言。彼は私が前職に入社した際の上司であり、親会社からの出向者であり、しかも同郷であり、同学年であり、共通の知人がいたという、それなりに私の11年を知っていた人物。彼からの一言、「でも転職したら年収下がるでしょう。」
「確かに下がります。しかし、私の年収をご存知ですか?私は入社時から50万円しか上がっていません。それをご存知ですか?仕事のやりがいは、熱望されてこそ、本当に必要とされてこそ、ではないですか。」

そして、私は観光協会への転職を決めた。

転職理由は、ここまで。
今後は、転職後の悪戦苦闘について、掲載できるといいなと思います。

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