高野山奥之院へ
四国八十八ヶ所巡りのお礼参りに高野山奥之院へ。
今年は弘法大師生誕1250年。2020年10月から今年3月まで6回に分けて四国八十八ヶ所を回り、ようやく昨日、高野山奥之院にお礼参りに来ることができました❗️
2022年3月の3回目の途中で道に迷い、山道を延々と歩き続け、膝と股関節を痛めて、体だけでなく、心も折れそうになった。
それでも八十八番まではと、4回目からはレンタカーで周り、6回目は寝台特急で向かってほぼ日帰り。そして結願。
これも、なんとしても今年の1250年の生誕祭に間に合わせたかったから。
仕事の合間で瞬間的に、このタイミングしかないと、先週日曜日に予約を取り、朝6時の新幹線に飛び乗りました。
とはいえ、ケーブルの高野山駅まででも4時間半以上。最後くらいはもう一度、歩こうと、高野山駅から歩きだしたものの、歩いている人はほとんどいない😅
黙々と自動車道を歩き、大門へ。
大きな大門に感慨深い思いを抱きながら、高野山の街へ。途中、いくつかの施設を周り、案内所で奥之院と金剛峯寺のどちらを回った方が良いかを伺い、先に奥之院へ。
一の橋からは歴史的な人物や大名家、大手企業のお墓がずらりずらり。
江戸時代の名門の武将や大名家の苔に覆われたお墓を見ながら、これらのお墓を守っていく人はいるのだろうか。
ようやく奥之院の手前の橋についた。ここからは脱帽、写真もNG。
痛めた股関節をかばいながら一歩ずつ、お堂へ。般若心経をあげ、裏の霊廟の前で再度般若心経を唱える。
地下に行き、奥をながめど、御簾の奥にいらっしゃる弘法大師様の姿を見つけることが出来ず、自分には信心が足りないのか、などと思いトボトボと納経所へ。
御朱印を書いていただく間、お坊さんに見えないのは信心が足りないのか、などと聞くと、見えるはず!と言われ、再度お堂を回って、地下へ。
般若心経を唱え、メガネを拭き、近づいて、よく見ていたらボッーとそのお姿が見えてきた。涙が出そうになる。
無事、この旅を終えられたことに感謝し、高野山奥之院の修繕のための寄付をして、帰り道を行くと、浅野内匠頭と四十七士のお墓を見つけた。
忠臣蔵のまち歩きツアーを企画している私にとっては、縁のあるお墓。蝋燭を灯し、お参りをした。
しかし外国人が多い。世界遺産の地とはいえ、ガイドを伴った方もいれば団体の方も。大袈裟かもしれませんが半分くらいはと、思うほどは海外の方だったような気がした。
観光の仕事をしていると本当に海外の方が戻ってくれたのは嬉しい。
でもこれは海外の方だけではないが、あらゆるところに様々な注意書きが誰にもわかるようにマークで描かれている。
脱帽、写真NG、ペット禁止などのマーク。目に入らないのかもしれないけれど、つい声をかけてしまう自分に苦笑いしながらも、世界遺産を守ること、その聖域を守ること、生活地を守ること。観光地を訪れる人はその地が守ろうとしているいことに気を配っていくことも大切だと思う。
帰りの途中で金剛峯寺、最後の女人堂では、もう閉める準備をされていて、納経だけでもと、お願いをしたところ、快く記帳してくださった。5分後のバスに乗らないと、高野山から特急で帰れなくなるのでと、いうと急いで記帳してくださった。本当に有難い。
16時35分のバスに飛び乗って高野山駅へ。無事、大阪なんばに戻り、とりあえずホテルにチェックイン。
汗だくの体をシャワーで流し、ようやくの食事へ外へ。
久しぶりの大阪も人が多かった。
2年半の旅は感慨深い。
自分の想い、出会った人たち、お坊さん方など、いつかゆっくり振り返りたい。
さて、せっかくここまできたので、中学の修学旅行以来、行きたくてたまらなかった奈良へ。明日香では特別限定公開のキトラ古墳を見学してきます❗️