小説『ワンダリングノート・ファンタジー』(68)断ち切って
Chapter68
「⋯⋯この公園によく現れる不審者って、もしかして⋯⋯あなたのこと!?」
『ふむ。確かにこの状況では、そうなるな。だがお前が俺を知らなくても、俺はお前を知っている。そしてここは、初めてお前と出逢った場所だ。レナよ』
「な、何で私の名前を知ってるのよ?? あなた、ストーカー!?」
鏡の世界からその様子を覗くレナは、二人の会話を聞きながらこの不可解な状況を整理しようとした。彼女はトムのメモ書きを手に取り、もう一度見る。
──どうしても消えない記憶の1ページが、僕の中にあるんだ。それを君に、断ち切ってほしい──レナはこのヒントを頼りに、トムの願いを叶えなければならなかった。
『今日は、お前に渡したいものがある。ぜひ、受け取ってほしい』
ダンは女性を宥めるような口調で、静かに答えた。そして彼は上着のポケットから何かを取り出し、彼女との距離を詰めだした。
『明日はお前の結婚式だろう? そんなお前に、最高のプレゼントを用意してやった。きっと気に入ってくれるはずだ』
二人の動向を伺うレナはその会話にハッと気づかされた。以前、この池のほとりで「何かに操られていたトム」の口から、同じ「結婚式」という言葉を彼女は聞いていた。
──君は突然消えてしまったんだ。結婚式の前日に。そして発見された。この公園の、この池で──
レナはこの状況をやっと理解した。自分はこの時、この場所でダンによって襲われてしまい、それを悔いるトムの思念が「変貌したトム」の姿となり、彼女の前に現れていたのだと。
全ての辻褄が合うと確信したレナは、ダンによって今にも襲われようとしている「大人のレナ」を守るため、持っていた斧を強く握り締めた。
「トムの消したがっている記憶のページは、私が今、ここで破り捨ててあげるわ」
レナは「金色の斧」を冷静に振りかぶった。これが最後になると信じて、エマの巨大な鏡に映るダンに狙いを定めた。女性が走って逃げ出し、ダンとの距離が広がった瞬間、レナは斧を思い切り振り投げた。
『どうだ、娘よ。俺の演技力は⋯⋯?』
ダンはレナの方をぐるっと振り向いた。それはまるで、「鏡の世界」から彼女に覗かれていたのを知っていたかのような様子だった。
レナの投げ放った斧はエテルナル・ミラーの鏡面を突き抜け、ヴィジョンの中のダンに向かって一直線に飛んでいった。しかしその輝く斧は彼の身体をすり抜け、勢いを保ったまま池の中へと突っ込んでいき水飛沫を上げた。
ダンの姿は霧散し、その手応えのなさにもレナは疑念を抱かず「何かを変えることができた」という達成感に彼女は包まれていた。
──金色の斧は再び池へと戻り、水中深く沈んでいった──
女性は息を切らしながら公園内の電話ボックスへと駆け込み、受話器を上げて小銭を入れ、その震える指でダイヤルを回した。
「もしもしトムっ!! 知らない男が、公園の池で私を襲おうとしてっ!! 私の名前も知ってて!! 私にプレゼントを渡そうとして!!」
「池? おい、レナ⋯⋯一体何の話だい? 仕事中に僕をからかうのはやめてくれ。それに明日は僕らの結婚式なんだ。そもそも、公園の池だって? 君はどうしてその池にいるんだよ?」
「え⋯⋯? な、何だか明日が待ちきれなくって、落ち着かなかったのよ。昔この池で、私のぬいぐるみを落としちゃったのを思い出して」
「ああ、あれは僕がすぐに拾ってあげたじゃないか? びしょびしょに濡れちゃったけど。それより君、今はまだ仕事中のはずだろ?」
「え? 仕事? 今日はアイデアが浮かばなくって、サボっちゃったわ。デザイン業界も色々と大変なのよ⋯⋯それよりもさっきの男、あれは絶対変質者だわ! ストーカーよ!!」
「ぷっ、ゴメン⋯⋯実はそれ、僕のサプライズなんだ。同僚のダンに頼んで、君を驚かせようって。プレゼントの箱は、もう開けて見たのかい?」
「はあ? 箱って何よ!?」
「リングケースだよ。指輪を渡されると思っただろ? 中身は開けてビックリ! レナの大好きなカエルちゃんでした! ってね?」
「トムっ! あなたって、ホント最低!!」
女性は胸を撫で下ろし、苦笑いをしながら受話器を下ろした。
「でも変ね⋯⋯何で私が池にいるってこと、知ってたのかしら??」
──それ、僕のサプライズなんだ──
エテルナル・ミラーのフレームに寄りかかっていたレナの耳に、囁くような声が聞こえた。目の前に浮かぶ幾多の古書のその先に、淡い色彩の幻想的なブランコが姿を現した。そしてそこに座っている、制服姿のトムが彼女に手を振り始めた。
「トム⋯⋯本当に、あなた?」
レナはゆっくりと前に進みながら、信じられないという表情でトムを見つめた。
「僕らの物語は、この場所に記されている。君が忘れていた場面も、ここでなら思い出せるだろう?」
ブランコがゆっくりと前後に揺れる中、トムの手からひらひらと紙片が舞い、制服姿のレナに向かって飛んできた。それは二人の想い出が綴られたページの一片で、彼女の手に温かく収まった。