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【私たちのまちの自慢人@軽井沢】 『ターニングポイントは、ホテルのフロントバイト時代』SAVVY Collective代表取締役CEO 浅生亜也さん

街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る私たちのまちの自慢人』。

オンラインコミュニティをローンチする前の先駆けとして、2019年8月に代表大山が取材させて頂いた、SAVVY Collective(サヴィーコレクティブ)代表取締役CEOの浅生亜也さん。3年前から暮らしの拠点を軽井沢に移され、東京と2拠点生活。見惚れてしまうインテリア溢れるご自宅で、9歳の頃に出会った旦那さんとともに暖かく出迎えて下さりました。

ご両親が敷いたレールを歩くことに目が向いていた学生時代を振り返って、「箱入り娘でしたね」と語る亜也さん。ピアノ一筋だった学生時代から、1つのことに向き合い続ける強さの先で生まれた軸「人を応援し、輝ける場所を作りたい」に至るまで迫りました。

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浅生亜也さん:大阪府生まれ。父親の仕事の関係で9歳からブラジルで暮らし、高校から米国へ。南カリフォルニア大学音楽学部を卒業してピアニストに。並行してシェラトン・グランデ・ホテル・ロサンゼルスに勤務。97年に帰国。シェラトン・グランデ・ロサンゼルス、シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルでホテルの現場業務に従事。一度ホテル業界を離れ、監査法人に入所。監査法人トーマツ、PwCBPO、中央青山監査法人で、会計監査及び業務プロセスコンサルティングに従事。その後、スペースデザインでサービスアパートメントの開発や運営などを経て、イシン・ホテルズ・グループに入社。20軒以上のホテルを取得及びオペレーション部門を管轄する本部機能に従事。2007年同社退社後、独立し、㈱アゴーラ・ホスピタリティーズを創業。ホテルから旅館など国内13施設のホテル・旅館を展開。アゴーラ創業から10年目を迎えた2017年3月、同社を後進に託し退任。2017年SAVVY Collectiveを創業。ラグジュアリー&ライフスタイルを志向したホテルを開発およびマネジメントを手がける。

『両親が敷いてくれたレールを歩くことに目が向いていた学生時代』

WI大山:お父さんのお仕事の関係で9歳の頃に移住されたブラジルから、高校生になるタイミングでアメリカへと拠点を移されたきっかけを教えて下さい。

亜也さん:ブラジルでは明るく意見をしっかり主張できる友人たちに囲まれていたのですが、私は逆に内気で喋ることが苦手でしたね。ですが、そのブラジルでの刺激がきっかけとなり、自らの希望で高校からアメリカ留学を決めました。

大学は法学部進学を考えていて、日本と海外の懸け橋の1つになれる国際弁護士という将来の選択肢がふと浮かんでくるぐらい、自分に向いていると信じていました。結果的には父から「今、やっている1つのこと(ピアノ)をやり通しなさい。その後いくらでも道は切り拓けるから」と言われ、渋々南カリフォルニア大学の音楽学部に進学しました。

WI大山:ご両親に言われたことを素直に受け止められ、道にされていたんですね。

亜也さん:両親が敷いてくれたレールを歩くことに目が向いていて、ピアニストを目指してピアノメインの生活でした。当時の私は辞めたいと言えず、ひたすらピアノに向き合っていましたね。

『他方にわたる興味が強みに、好奇心が生きるチカラになる』

WI大山:私は好奇心の矛先が広く、逆に選びきれません。今3つインターンを並行している中で(取材当時)、むやみやたらにチャレンジするのも違うと思っているんです。

亜也さん:私は1つの選択肢だけで社会に出たから、友理さんはとてもいい時代に生きていると思うの。今は他方にわたる興味が強みに、好奇心が生きるチカラになる時代です。

お庭にて

WI大山:ピアノと1つ道を決め、貫かれていた生活を送られていた当時の亜也さんと、今の私は対照的ですね。亜也さんは選択肢を前にした時に、何を軸にして進んで来られたのでしょうか?

亜也さん:やらなかった後悔は一生消えないから、自分が好きだと思うことをやり尽くす。興味を抱いたことを自分の中で整理しつつ、挑戦を忘れない。

高校進学を機に引っ越したアメリカでは、自立を求められました。そこで自分自身の選択をコントロールできずに過ごしていたことに気付いたんです。それから自分の手で自分が生きる道を探さなきゃという想いが生まれ、その瞬間にできる努力を精一杯しました。

WI大山:アメリカでの生活は、ご両親が用意して下さった選択肢ではなく、新たな選択肢をご自身で見出された時間だったんですね。

亜也さん:完全な箱入り娘でしたね。就職活動は一切せず、履歴書は1枚も書いたことがありませんでした。大学を卒業した後も、ピアニストとして仕事していました。

そんな中、先の自分をイメージできなくなってしまったタイミングで、ホテル業界に出会いました。私のターニングポイントは、ホテルのフロントバイト時代。歌手に女優、劇団員とパラレルワーカーとして生き生きと働く方々の姿から感銘を受けましたね。

『耐久力を持って孤独と向き合うことを教えてくれたリクルート創始者 江副さん

WI大山:28歳の頃に、ホテルの仕事関係で帰国。20年ぶりの日本での生活、そこからずっと日本でお仕事されていると伺いました。

他メディアの記事から、大学時代の友達を通じ、リクルート創始者の江副さんと出会われたと知りました。亜也さんにとって、江副さんはロールモデルのお1人ですか?

亜也さん:ロールモデルは必ずしも1人とは限らない。ただ江副さんは私のロールモデルの1人でもある。それに気付いたのは、自分が経営者になり、江副さんの言葉が胸に響くようになってからのことですね。

江副さんの言葉は、いつも私の頭にこびりついているような状態。彼の本を読み漁っていた中でも、いつもおっしゃっていた言葉「経営者は孤独だ」。これは当事者になって初めて理解することができましたね。

このお言葉には、耐久力を持って孤独と向き合うことが必要というメッセージが込められていました。決断力に迫られていた時も、この言葉にいつも背中を押されていました。

WI大山:亜也さんご自身は、葛藤や孤独とどのように向き合われていましたか?

亜也さん:やみくもに孤独と戦おうとしたけれど、50歳を過ぎてから「何事もなるようになり、次の出来事が私の目の前にやってくる」という想いに変わりました。自分と葛藤した経験を経た今、時間とエネルギーだけが奪われていることに気付き、抗わないようになりました。

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『直感は“経験の賜物”』

WI大山:30歳前後からホテル業界中心にお仕事されてきたと思うのですが、亜也さんの生き方軸はそこにあるのでしょうか?

亜也さん:ホテル業界の持つモノを生み出すことや様々な人との関わりに魅了されています。人が成長する過程での変化と自分自身を重ね合わせつつ、見守りながら仕事しています。

少し背中を押すと、想像以上の実力を発揮する仕事仲間。その姿を見届けることは、何にも代えがたい喜びです。私の軸は人を応援し、輝ける場所を作ることですね。

WI大山:9歳の頃から中学時代を過ごされていたブラジルで出会われた旦那さんとの結婚。軽井沢に移住され、仕事場の東京との2拠点生活。決断力を磨く方法を教えて頂きたいです。

亜也さん:夫とは9歳で出会い、30代半ばから付き合い始めました。育った環境が似ていて価値観が重なることや、友達が一緒なことを含め、世界を共有できることが結婚の決め手でした。

ここ軽井沢には、自然を求めて3年前に引っ越してきました。ここを居住地に決めたことは自分にとって、最も正しくて最もいい決断だと言い切れるんです。
背景で感覚とロジックが超高速で廻っている「直感」は大事なチカラで、それは「経験の賜物」でもある。さらに、常日頃から自分で決断する癖をつけることで、磨かれると思います。

WI大山:高校生・大学生がメインのウーマンズ読者へ、最後にメッセージをお願いします!

亜也さん:皆それぞれ不安や葛藤に悩んでいると思うけど、怖がることはなく、何でも挑戦してほしいと伝えたいです。私はピアノをやり抜いたプロセスが、今生かされています。可能性に溢れていて、自然と道は拓けてくるから、目の前の物事に対して一生懸命取り組んでほしいですね。

(企画・取材:大山友理 | 文:座間琴音 | 構成・編集:大山友理)


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