【私たちのまちの自慢人@広島】『その時、その歳だからこそ、できることを』広島電鉄株式会社 生涯支援課 村岡直美さん
街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る『私たちのまちの自慢人』。
オンラインコミュニティ広島メンバーの第2弾にお迎えさせて頂いたのは、村岡直美さん。今年3月末まで人事管理本部 人事部 人事課課長を勤め、この4月から色々な方面から社員の支援を行う新設部署「生涯支援課」に異動されました。今では出産後の社員さんへのサポートも担当されている村岡さんも、会社初の育休取得者で、ご出産を機に退職を考えたこともあったそう。
2019年8月に、広島市男女共同参画センターで開催されたイベントのワークショップ内で、温かい笑顔とともに「流れに身を任せて、頑張らないという選択肢もある」と語って下さっていた姿が印象的だったメンバーが取材をオファーしたところ、ご快諾頂き、実現した今回の『私たちのまちの自慢人』。
広島市民にとってなくてはならないライフライン企業と言われている広島電鉄一筋で働き続けている村岡さん。「肩に力を入れすぎず、目の前にある仕事をコツコツ積み重ねていったら道が見えてくる」とソッと背中を押して下さる、お母さんのような存在でもある村岡さんのライフストーリーに迫りました。
村岡直美さん(写真中央):1988年、広島電鉄株式会社に一般事務職として入社し、バス部門に配属。1994年4月から1年間、1998年11月から1年間と2度の育児休職を取得。2016年2月 係長に昇職(人事課)し、給与関係業務に。2019年2月には課長に昇職(人事課)し、採用業務を担当。2021年4月より、新設の『生涯支援課』において、育児・介護・傷病等と仕事との両立支援に携わる。
『流れに身を任せて選んだ進路』
WI遠西:広島電鉄一筋で働き続けられている村岡さんですが、今の私たちと同じ世代の頃(学生時代)、どんなことを意識して進路選択されましたか。
村岡さん:学生時代、真面目ではなく(笑)。4年制大学を受けましたが、落ちてしまって。ただ浪人という選択肢は考えられず、当時短大の就職率が100%だったため、就職を見据えて、家政学部の短大を選択し、ギリギリでも卒業できれば良いと思っていました。
短大は4年制大学と違って、2年と短いので、忙しかったのですが、友達に誘われて入部した硬式テニスサークルに、本腰を入れて活動していました。案外ハマっていて、社会人になってからもしばらく続けていました。
アルバイトは、岩国(出身地)で塾の採点バイトと、先輩の紹介でホテルのラウンジで働いていました。英語は喋れなかったのですが、外国人の方も多くいらっしゃって、こういう仕事も面白いなぁと感じていました。
WI灰垣:学生時代に経験して良かったと感じていることは、ありますか。
村岡さん:誰かに誘われたことがきっかけだったけれど、色々な挑戦ができてよかったなと。ホテルのラウンジバイトでは、今まで知らなかった裏側を垣間見て、「こんな大変なことがある」と知りました。テニスサークルでは、学内外で友人ができて、交友範囲が広がりました。
WI船田:逆に、今となって経験したかったと思っていることは、ありますか。
村岡さん:もう少し勉強をしていれば、自分の就職に対する選択肢は広がったかなと思います。でも今何か後悔しているかというと、今の仕事に就いていることに対しての後悔はないので、何が正解かは分からないですね。
『地元での就職、旅行業に携わりたいという想い』
WI小田:新卒で、広島電鉄に入社を決めた理由を教えて下さい。
村岡さん:バブルの始めで、短大を卒業して入社しましたが、深く考えていませんでした。ただ地元で就職すること、旅行業の職種に就きたいという気持ちはありました。(株)たびまちゲート広島(当時、広電観光)で知り合いの先輩が働いていて、そこで広島電鉄に出会いました。先輩にどんな会社か尋ねてみたところ、「広電本社で求人があるから、本社の方がいいのではないか?」と言われました。当時は貸切部門があったため、あわよくば観光関連の仕事もできる、電車やバスの仕事も面白そうだなと感じていました。
『いつでも辞められるから、まずは働いてみよう』
WI小田:村岡様の身近に働き続けている女性がいたから、働き続ける選択をなさったのでしょうか。ロールモデルはいらっしゃいますか。
村岡さん:ロールモデルというほど考えてはいません。私は昇進したいという想いが強いわけではなかったのですが、係長も課長もたまたま頂けた役職だと思っています。とはいえ、役職が就いても「今まで何をしていたのだろう」にはなりたくないし、その時の職務に見合う仕事はしていきたいですね。
大きなことはできないけれど、小さいことであっても実現してそこから派生していけばいいなと。今育休を取得している社員には、私が今育休取得者に向けて行っていることを次の世代に繋ぎ、飾り付けしながら大きくなってほしいと願っています。
緊急事態宣言が発令されていない時期に、オフラインにて。
私は事務所内で初めて育休を取った社員だったのですが、実は育休を取ってまで働こうと考えていませんでした。そんな時に、今の自分ぐらいの年の先輩から「会社で育休制度ができたよ」と紹介してもらい、「辞めることはすぐできるから、ここでお休みを取って考えてみたら?」と言われました。私の子どもが双子だったこともあり、「私も働かないと生活していけないかもしれない。辞めることはいつでもできるから、とりあえず働いてみよう」と思いました。
当時の社員の中には思うこともあったかもしれないけど、育休を取ってしまったらこっちのもの。復職してからも育休を勧めてくれた先輩が、事務所にいて下さったので、理解があって働きやすかったです。
現在は4人ほど育休を取得している社員がいて、月に1度社内保育施設内で保育士も含めランチやお茶をする機会を設けています。何をするわけでもないけど、子育ての悩みなど話しています。会社を1年間お休みするとなると、どうしても会社と距離が空いてしまって復職に不安もありますよね。「会社に戻りたいけど、子どもも可愛い」という想いや、焦りを共通の悩みを持った人たちと、同じ経験がある私が話を聞くことで気が休まる場所になればいいなと思っています。
『その時、その年齢だからできる働き方を実現したい』
WI船田:流れに身を任せてその場その場で自分にとってのベストを探って歩まれてきた村岡さんの今後が気になります。
村岡さん:私が入社した後しばらくして一般職で入社しても試験に合格すると総合職に転換できる制度ができました。私自身は総合職で働く気が全くなく、普通に定年まで働けたら良いぐらいに思っていました。でも働き続けたら、係長、課長と役職を頂けるようになって、年々今の私の歳じゃないとできないこと、もう少し歳を取った時にしかできないことがあると感じるようになりました。その時、その歳でないとできないことを実現していきたいです。
WI遠西:就活当時、地元で働こうと思っていたと仰っていましたが、長く広電で働く中で感じていらっしゃる“地方都市を選択して働くことのメリット”をお聞きしたいです。
村岡さん:同様の仕事であっても、都会と広島では見え方は違うと思うんです。広島という地方都市で、皆さんに認知いただいている『広電』がなにをするかに興味をもっていただいていることにも面白さを感じています。
例えば私が採用に携わり入社した社員が、色々なことを考え、実現しようと動いてくれる際に、その人たちを手助けしながら、広島が変化していくところを見ることが出来るのが楽しくて。先日(取材当時)は、入社2,3年目の社員たちが、鉄道ファンの皆さまをお呼びして、コロナ禍で従来とは違うやり方で電車祭りを開催しました。大きな会社だと難しいかもしれませんが、当社の規模だからこそ色々なことを実行でき、それを実際に目にできるのがいいところだと思います。
WI小田:最後に高校生、大学生、社会人初期の読者の方々に、メッセージを頂きたいです。
村岡さん:就活中の方が読んで下さっていたら、「就活のためにこれやっとかなきゃ」ではなく、「これをやっていたら就活にも役に立つかも」くらいの考えで、取り組んでほしいと伝えたいです。就活中は「内定をもらうこと」に目が行き、視野が狭くなりがちだけれど、考え方を反転させると、少しずつ視野も広がっていくと思います。
社会人数年目の方には、仕事が辛く感じたら、会社内を俯瞰してこんなところがいいかもって思える点を探してほしくて。体を壊したらしょうがないけれど、少しだけの無理はしてもいいかなと。それでも続けるのは辛いかもと思ったら、若いから1度諦めてもいいと思うんです。辛いと思ったら、辛いことしか考えられなくなるので、1回落ち着いて、考えることも大事ですし、1回の就職が全てではないですよね。
今はコロナ渦で、大変だと思うし、自分の思考が凝り固まって、視野が狭くなり、見えなくなってしまう部分もある気がします。これまでの人生、私は人に流されてきて、人に流されてみるのもありだなと感じていて。誰かが言ったことを少し聞き入れながら、物事を真っ直ぐ見るだけでなく、寄り道してみるのもいいと思うんです。1度違うなって思ったら、修正できるので、やりたいことが見つかったら実行して、色々なものを見てほしいですね。
(企画:立花ゼミ、取材:小田美織、遠西さくら、灰垣亜沙子、船田萌、編集:大山友理)