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『資格ありきの看護師から、自分ありきで仕事を生み出した6年間の雑貨屋経営』ハイパー顔ハメクリエーターdeco. 佐藤由紀さん

沢山の人から愛され、囲まれ、甘える場所が増え続ける佐藤由紀さん。10年間の看護師にピリオドを打ち、6年間の葛藤と喜怒哀楽が詰まった場所「路地裏の雑貨店Common Life」。

代表大山がファンだった雑貨屋閉店のタイミングで、由紀さんのこれまで、これからに迫りました。

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佐藤由紀さん:1978年静岡県生まれ。逗子市在住。夫と8歳の娘と3人暮らし。看護師として10年静岡県内と、都内の大学病院に勤務。結婚出産を期にもう1つの夢だった雑貨屋を諦めきれず病院を退職。2013年、川崎市新丸子に雑貨屋Common Lifeをオープン。自店のマルシェや手作り市などのイベントの集客目的で制作していた「顔ハメパネル」の魅力に、いつしかどっぷりはまる。「顔ハメパネル」で、世の中をもっと明るくしたい!と思い、2019年 5月に雑貨屋を閉店。ハイパー顔ハメクリエイターdeco.として、オリジナル顔ハメの制作、顔ハメ名刺を企画。ワークショップも随時開催。現在制作した顔ハメパネルは通算240枚。毎日インスタグラムにて更新中。
メディア出演: 『NHK総合 シブ5時』(2019.9.6 )、『テレビ東京 モヤモヤさまぁ〜ず2』(2019.10.27)、『 日テレ ヒルナンデス』(2019.11.27)を始め、新聞・ラジオ他多数。

『看護師から雑貨屋に転職を決めたきっかけは、東日本大震災』

WI大山:地域密着型の雑貨屋さんを営まれている(取材当時)由紀さんのファーストキャリアは、看護師と伺いました。看護に進もうという想いに至ったきっかけを教えて下さい。

由紀さん:私の実家は静岡県浜松市で、どの家庭の両親も似通った職業に就いていました。職業の選択肢はもちろん、情報も少なかった。そんな中、母から「自立して生きるために手に職をつけなさい」と言われながら育ちました。

理系だったことに加え、細々していることが好きだったので、地元で評判が良かった3年制の看護専門学校で勉強し、看護師になりました。 母の考え方が進路選択時のベースになっていたので、現場に出た時に「こんなはずじゃなかった」という理想と現実のギャップに驚くことはありませんでした。

WI川上:理想と現実のギャップに驚かなかったと仰っていましたが、看護師から雑貨屋に転職を決めたきっかけは、何だったのでしょうか? 

由紀さん:きっかけは東日本大震災でした。10年間看護師として働き、その先も続ける予定でキャリアを考え、浜松から東京の病院に転勤させてもらいました。

東京で働き始めて5ヶ月が経ち、看護師に復帰する予定だった最中に、震災を経験しました。そんな怖さと隣り合わせの生活を送っていて、生まれたばかりの子どもが通う保育園も見つからなかった。

震災は自分の人生を大きく左右していて「いつかはないのかも」という想いに至り、思いきって10月に退職。アクセサリー作りが趣味なこともあって、定年後の夢「雑貨屋」を叶えるために、翌年3月に開店しました。「明日が来るとは限らない」と教えてくれた震災、若いうちにやろうと思いきったこと、主人や背中を押してくれる人の存在も転職のきっかけになりました。

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『代わりがきかない雑貨屋経営で得たモノ』

WI中林:雑貨屋さんを開店するまでのスピード感は、由紀さんの夢を叶えられる喜びに乗っている気がしました。雑貨屋を営む中で得られたものはありますか? 

由紀さん:看護師だった10年より雑貨屋を経営してきたこの6年の方が、濃い時間を過ごせました。看護師は資格ありきで、責任感のある人が集まる職業。自分がいなくても代わりがきく。

雑貨屋経営は代わりがきかないことに加え、自分色に染められる仕事。様々な年代の方々との繋がりが増え、甘えられる環境を作れたように思います。「仕事とプライベートの区別ができていない」と開店当初に夫から言われたこともあったけれど、私は仕事もプライベートも好きなことをやっているからONとOFFに区別がないんです。

お客さんとも仲良くしてもらえて、ありのままでいられるから生きやすくなりました。開店して間もない頃は赤ちゃんだった娘も、お店とともに育っている気がしています。

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『生活の変化を捉え、生み出したマルシェ』

WI大山:路地裏マルシェや個展を始め、地域の方々との繋がりを大切にされている印象があります。原点を教えて下さい。 

由紀さん:路地裏マルシェは、武蔵小杉にグランツリーがオープンし、週末に新丸子から人が消えてしまったことがきっかけです。私自身川崎で農家を営まれている方々と繋がりがあったので、新丸子にある個人店の仲間にお声がけして協力して頂く形で、新丸子を回遊できるマルシェを始めました。5月末で閉店するので、1度マルシェも閉めてしまうのですが、形を変えて続けていきたいですね。

時に後悔をすることもあるかもしれませんが、やってもやらなくても後悔はするので、想いが生まれたら勢いで行動すべきだと思っています。 

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『夢を追いかけ勉強していた時に出会った夫』

WI大山:由紀さんご家族は、いつお会いしても穏やかな笑顔が印象的です。結婚の決め手は何だったのでしょうか?   

由紀さん:看護師時代から雑貨屋を開店したいという想いがあったのですが、ただの雑貨屋だと商品を買ってもらえない。お金を生み出す仕組みを作ろうとコーヒーの勉強をするために、浜松から東京に通っていた時に出会いました。

雑貨屋も彼がコーヒーを入れるのと似ているところがあり、雑貨屋を開店する際にも背中を押してくれました。でも1番は、頑張らなくていいということが決め手になったと思います。常に温厚でアップダウンがなく、自分を一定に保てるので楽です。 

WI中林:2人で生きるという子どもを産まない選択肢はありましたか? 

由紀さん:子どもは授かりものですからね。周りにDINKSの選択を取った方も沢山いらっしゃっていて、それもそれで楽しそうで仕事も軌道に乗っていて、そういう形もありだと思います。

お店をオープンさせなかったら、多くの時間をともにする友達には子どもがいて、いないのは特殊と思っていたかもしれないです。家族の築き方は人それぞれですよね。 

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家族揃って記念写真。川崎フロンターレの公式応援歌「明日も」を歌っているSHISHAMO。本人たちも顔をハメてくれたという。

『次のチャレンジ“顔ハメ”との出会い』

WI川上:由紀さんにロールモデルはいらっしゃいますか?

由紀さん:ロールモデルはいないです。ただ仕事をしている中で、少し先を行っている方々やお話伺ってみたい方、この方みたいになりたいなという存在はいます。

閉店のきっかけとなったのは、顔ハメ。絵を描くのが苦手で、だからこそ顔をはめて完成するのが私に合っていると感じています。そんな顔ハメを始めてから、出会う人が変わり、新しい世界に出会う度に「その世界を知りたい、刺激を受けたい」という想いが強くなっていきました。

できることならお店も辞めずに全て手に入れたいけど、全部は手に入らない。今持っているモノの半分は手放さないと新しいモノは入ってこないし、新しいことに挑戦する体力も今しかないと思いました。 

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今回の閉店は自分にとって、子どもを手放す感覚で、卒業するようなイメージ。悩み葛藤し、やり残したことも未練も沢山あるけれど、自分で決めた1本に集中しようと決めました。  

看護師から雑貨屋は完全に違う気がするけれど、雑貨屋から顔ハメは「手放す」というよりもこの場所でもらったものを生かしていくというような感覚。

雑貨屋に転職したことでゼロからのスタートになってしまったけれど、企画を実行した時の反響やお店で得たモノの量を思うと、看護師だった自分よりも今の自分は大きくなったように感じています。これから先に進もうとしている自分自身への期待値が高いです。

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このマグカップも、いのうえのうえんさんとコラボして作りました。ポルカ(フレンドファンディングで、300円から始まるプロジェクト支援サービス)を使い、販売したところ完売したんです。ゼロイチ(何もないところから何かを生み出す)かは言葉に表しきれないぐらい楽しく、自信に繋がりました。

必要としてくれている方へ、自分のもってる力を提供するという仕事の本質は業種問わず同じで、今看護師だったらもっといい働きができるのではないかとも思ってしまいますね(笑)。 

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WI中林:今年受験を控えていて、由紀さんなら今後の不安を前にした時、どう向き合われますか? 

由紀さん:将来に漠然と不安を抱いている時は、近い未来しか見えていない時じゃないかな。将来は分からないし、受験は通過点にすぎない。そんなにこだわりすぎず、「なるようになればいいや」といい意味で流されていっていいと思うよ。

『その場その場で選択していく“選択力”の磨き方』

WI大山:雑貨屋経営の6年間が、今の由紀さんのしなやかさや強さとなっている気がしました。最後にメッセージをお願いします!

由紀さん:こうあるべきという理想を頑なに決めてしまうと生きにくいと思います。自分の中で譲れないものが1つあればその時代に流されるように生きるのもいい。

その場その場で選択していく“選択力”が、鍵になってくると最近よく感じています。私自身何かある度に、自らが選択していること、他者の選択に干渉しないことを意識しています。オレンジジュースとりんごジュースがあったとしたら、どちらかを選ぶ際に、根拠と理由をすぐに言えるように、日々の生活の中で選択力を鍛えています。 

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閉店も夫からは「好きにしな」と言われたので、自分で決断しました。最終的に決めるのは自分なので、夫には相談というより決まったことを報告するという形でしたね。

今回のお店を離れることについても、2ヶ月くらい悩みました。それは将来に対する不安があったからなんでしょうね。どんな時間も大切だけれど、選択力を磨けばもっともっと時間を短縮できたのにと思っています。悩む時間はもったいない(笑)!

(取材:大山友理・川上涼帆・中林彩乃| 文:中林彩乃 |編集・構成:大山友理)



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