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【シドニー】家族5人でシドニー移住を実現!【THE WAY】

WOMENCANFLY.COの連載企画「THE WAY」では、毎月海外で暮らす素敵な女性を紹介していますが、今回は初の「パートナー企画」と銘打ち、ご夫婦にインタビューを行いました!

支え合い、高め合えるパートナーがいることで、新しいことにチャレンジできたり、辛いことを乗り越えたりできることもあるはず。また、パートナー目線で見る、本人でさえ気づかない努力や魅力にもスポットライトを当てたいと考えたからです。

パートナー企画第1回目でご紹介するのは、オーストラリア・シドニー在住の寺澤悠(はるか)さん、敬子(けいこ)さんご夫妻

結婚後、3人のお子さんが生まれ、下の双子ちゃんが2歳の時にオーストラリアへ家族で引っ越してきた寺澤さんファミリーですが、なぜ、そのタイミングで海外行きを決めたのか。海外に来て良かったことや苦労したことは? そして、海外生活で改めて感じるパートナーの存在についてもお話しいただきました! たっぷりご紹介します。

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40歳までにやろう! 夫婦で決めた海外移住

20代の頃、悠さんは柔道クラブのコーチとして、敬子さんは同時通訳者の修士取得に向けて大学院に通うため、イギリス・バースで暮らしていました。二人はバースで出会い、帰国後数年して結婚します。

帰国してからも、自然と二人のなかには「いつかは家族みんなで、もう一度海外で暮らしたい」という思いがあったのだとか。

海外への引っ越しが具体的に動き出したのは、2015年の正月です。

敬子さん「毎年正月には、夫婦で『今年何がしたい?』っていう話をするんです。当時、私たちは36歳だったかな。海外移住はずっと考えていたけど、大きなチャレンジをやるなら40歳までにやりたいねという話になりました」

このタイミングでの移住にふみきった理由は、主に3つです。

1つ目は、気力と体力があるうちが良いので、先延ばしにしたくなかったから。

2つ目は、その年1番上のお子さんが小学校に入学する予定だったので、できるだけ子供たちが小さい頃に行きたかったから。

3つ目は、後になればなるほど、親戚の事情や子供の友達との関わりなどが複雑になり、動きづらくなるから。

敬子さん「環境が変わると、子供たちは苦労するかもしれない。でも、『本当はやりたかったんだけど、あなたたちのために我慢したんだよ』と言うより、『大変だったけど、やりたかったことをやったんだよ』と言う方が良いと思ったんです」

こうして、2015年はやれるところまでやってみる、準備とチャレンジの年になりました。

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考えること・やることだらけ、移住までの道のり

やれるだけやる。そう決めてから、二人はすぐに動き出します。

当時、柔道整復師として整骨院2院を運営していた悠さんは、整骨院の経営を共同経営者に任せ、自身は役員から社員のポジションに。いつでも動ける準備を整えました。

敬子さんは外資系IT企業に勤めており、異動の可能性がある、カリフォルニア、シンガポール、香港、オーストラリアの4ヶ国が移住先候補にあがりました。

敬子さん「3人の子供を育てるのに、私がファイナンシャルリスクを全て負うのは避けたかった。だから、夫が働ける場所、しかもやりたい仕事に就ける国が良かったんです」

そこで、悠さんがもっている国家資格が有効な国、かつ整骨院業界でのビジネスに活路が見出せる国として、オーストラリアが移住先に決まりました。

悠さんは早速、シドニーでの就職活動を開始し、2015年の夏にはオファーをもらいます。また、日本で取得した資格をオーストラリアでも有効にするため、移住前には週末に大阪のスクールへ通い、シドニーでも引き続き専門性を活かして働ける環境を整えていきました。

また、敬子さんは仕事でアジアパシフィック全体を担当しており、当時クライアントの大半はオーストラリア。敬子さんの日本での信頼は厚く、需要が高い職種だったこともあり、10月には会社でシドニー異動の承認がおりたのです。その後、12月にはビザを取得します。

「この1年、やれるだけやってみよう」と動き出した二人は、本当に1年間で移住の用意を整えてしまいました。

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オーストラリアの保育料は高すぎる!

これだけ計画的に行動されてきたお二人ですが、当の本人は「私たち、いつも行き当たりばったりで。考える前に飛んじゃうんです」とのこと。

実際に、事前に調べておかなかったばかりに、移住後苦労したこともあったのだそう。

敬子さん「オーストラリアは保育料がとっても高いんです。ビジネスビザだと国の補助を受けられないから、子供1人あたり1日100ドル以上かかってしまう。週5で預けたら、500ドル。さらにうちは双子だから、週あたり1,000ドル以上になります。毎月5,000ドル前後の保育料を払い続けないといけませんでした」

シッターさんを雇うのも、同じくらいかそれ以上かかるそう。そのため、永住権を取得して国の補助が少し受けられるようになるまでの2年間は、金銭的にかなり苦労したそうです。

悠さん「普通に暮らしているだけで、みるみるうちに貯金が崩れていくんですよ。当時、僕は2,000ドル稼ぐことは、日本の20万に値すると思っていて。でも、オーストラリアの物価は本当に高いから、2,000ドルでは生活できない。その認識の甘さがありました。そこからオーストラリアで稼ぐにはどうしたら良いんだろうと真剣に考え始めたんです」

お金の余裕がない時期は、心の余裕もなくなっていくのだそう。移住後の1〜2年は、夫婦で気持ちがすれ違うことも多く、当時のことを二人は「第三次世界大戦」と呼んでいます。

敬子さん「あの頃は本当に大変だったけど、そのおかげで自分の限界を知ることができました。自分の状態、家族の状態をこまめに話し合い、調整し続けることが本当に大事だと思います」

悠さんと敬子さんは、正月だけでなく週末などにも、時間を見つけては夫婦でコミュニケーションをとっています。「最近どう?」「子供たちはどう?」「私たちはどう?」と、互いに状況を確認しあっているのだとか。

結婚は、するよりも続けることの方が大変です。一緒にいることを当たり前とせず、常に自分や相手の考えを伝え、それをリスペクトすることを大切にしています

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シドニーで実現した、ハッピーなワークライフバランス

保育料が高いシドニーですが、二人とも、シドニー移住のメリットはかなり大きいと感じているよう。

敬子さんが感じるオーストラリアと日本の違いは、次の3つです。

1つ目は、職場のお母さん率。日本の職場には働くお母さんがあまりいませんでしたが、シドニーの職場にはワーキングマザーも共働きカップルも多いので、事情を理解してもらいやすいというメリットが。子供が熱を出したときも、「早退します!」と気兼ねなく言うことができます。

2つ目は、母親・父親へのプレッシャー。日本では、母親は家事育児を完璧にしなければいけない、父親は稼がなければいけないという、社会の期待が高いように感じます。一方、シドニーではお弁当はりんごとパンでオッケー! 疲れているときや苦手なことは、無理して頑張らなくても良いのです。

3つ目は、休みのとりやすさ。オーストラリアの職場は休みがとりやすく、子供の学校が休みの時期は、皆遠慮なく有給をとります

同じように、悠さんもシドニーに来てから生活が劇的に変わったと感じています。

日本にいた頃は、毎日のように夜中まで働いていたので、子供たちとの時間はなかなかとれませんでした。しかし、シドニー移住後、日系店舗で約2年間働いたのち、2018年に独立して自身のクリニックを開業してからは特に、子供たちとの時間が増えました。

シドニーでは休みをとることへの理解があるので、子供の学校行事がある日は仕事を休み、できるだけ行事に参加しているのだそう。毎日のお迎えも悠さんが担当しています。

その他、悠さんは料理や車掃除を主に担当し、敬子さんは掃除や洗濯を主に担当。寺澤家の家事は、それぞれ得意な分野を行うようにざっくり担当制になっているそうです。

悠さん「シドニーのお父さんたちは、みんなお迎えに行くし料理をするんですよ。日本ではこういう父親を『イクメン』と呼んだりするそうですが、イクメンなんて言葉がなくなるくらい、自分の子供たちが大人になる頃には、父親も当たり前に育児や家事に参加できる、参加しやすい環境に日本もなってくれると嬉しいなと思います」

悠さんがシドニーにオープンしたクリニックはこちら
⇒柔YAWARA指圧院

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夫婦で築くキャリアと家族の形

敬子さんは、イギリスの大学院を卒業後、日本の医科大学で英語論文の校閲や英語指導研究などの仕事に就きました。その後、27歳の時にキャリアチェンジし、人事の道へ。

現在は、外資系IT企業の人事部門で、女性、LBGTQ、障がいのある人や様々な人種など、まだまだ職場で少数派の人材の活躍を推進するプログラムをつくったり、テック産業への就職を支援するコースをつくったり、メンターとしてコーチングをしたりなど、アジアの第一線で活躍されています。アジアでこの仕事を担当するのは、敬子さんのチームが初めて。そのため、前例のないなかで先駆けた取り組みを実現しなければいけません。

敬子さん「もともと、育児をしながら在宅で働くことが理想だったので、昔は『私いつになったら会社を辞めてフリーになれるのかな』と思っていました。でも、自分が経済的に自立していると選択肢が広がりますよね。そうでなければ、旦那さんの収入にばかり目がいってしまったり、子供を産みたいときに産めなかったり。私は単純に好きな人と一緒に暮らしたいと思ったから働き続けてきたのかもしれません。でも今の仕事もすごく好きですね」

互いの仕事に口出しはしないものの、悩んだときはいつも相談してきたという二人。

悠さんは、イギリス留学から帰国した後、柔道整復師の資格を取得するため3年間学校へ通い、卒業した翌年に敬子さんと結婚します。このとき、二人は27歳。まわりの同級生たちは皆、昇進したり持ち家を買ったりしていたので、焦りを感じることもあったのだそう。

しかし、悠さんは新たにマッサージ師・鍼灸師の資格を取得するため、さらに3年間学校へ通うという決断をしました。

悠さん「最初、結婚後も学校に通うという勇気が僕にはなかったんですが、僕が将来開業するときに、マッサージができる資格をもっていた方が絶対に良いと、妻が背中を押してくれたんです。僕がシドニーでクリニックを開業するときに後押ししてくれたのも妻でした」

悠さんもまた、誰よりも敬子さんの仕事を応援しています。現在の外資系企業への転職の機会が巡って来たときも、子育てに理解ある前職から厳しいであろう外資系への転職を躊躇する敬子さんに、「1年もっただけでもかっこいいからやってみれば?」と背中を押したのは悠さんでした。

現職では仕事柄、コロナ前は海外出張も多かった敬子さん。本当は子供たちとの時間もほしいけど、今頑張ることが将来必ず家族のためになると信じています

敬子さん「結局、キャリアとは働き続けることなのではないかと思います。私も産後10年はいろいろと辛い時期を過ごしてきましたが、なんとか続けてこられました。優先順位は柔軟に、本当に好きなものは捨てずにそばに置いておくと、いつか思いもよらない形で仕事につながったりすると思います」

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二人にとっての「パートナー」という存在

最後に、お互いがどのような存在なのかを聞いてみると、敬子さんは「1番大事な人で、一緒に生きている人。家族の共同運営者みたいな感じです」と、悠さんは「運命共同体みたいな感じかな」と答えてくださいました。

敬子さん「悠さんは若い時にたくさん苦労しているから、人の痛みがわかると思います。オーストラリアに来て良かったのは、互いに素でいてもそれが機能するところ。いい意味で社会がみんな互いに無関心だから、私たち家族は私たちらしくいられると思います」

一方、悠さんは、敬子さんの「やると決めたらやりぬくガッツ」を尊敬しているのだとか。

悠さん「彼女はシドニーに来てから、すぐに現地のロースクールに通ったんですよ。フルタイムで働きながら子育てもして、さらに夜中2時に起きて本を読んでいました。決めたら徹底的にやり抜く。本当にすごいですよ!」

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家族や仕事のステージは常に変わり続けますが、二人は常にどうしたら家族がハッピーでいられるかを考えています。でも、そのハッピーは我慢のうえに成り立つものではなく、自分たちの幸せの形を柔軟に求めた先にあるものです。

だからこそ、やりたいことや夢は、しっかり家族に伝えるようにしています。

敬子さん「まずは自分が幸せでなくちゃ! そうでないと、他の人を幸せにはできませんからね」

「悠さんのこと大好きです!」とストレートに愛情を表現する敬子さんと、「仕事以外の時は、妻をたくさん笑わせたい」と照れながら言う、シャイな悠さん。

ご本人も認める正反対なお二人ですが、「好きな人と過ごす」ことが幸せだという敬子さんは今、オーストラリアで家族と一緒に過ごし、とっても幸せそうに見えました。

来年の正月には、どんな「やりたいこと」が話し合われるのでしょう?

「それ良いね!」「やってみよう」と笑い合う、微笑ましいご家族の姿が浮かびます。

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この記事は、WOMENCANFLY.COのウェブサイトに掲載した記事の転載です。こちら(THE WAY)から、他の記事もご覧いただけます。ぜひ覗いてみてくださいね!

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