さあ共に!40歳、50歳、60歳から始める将来の健康美ステップ
こんにちは。みっちーと申します。
私は40歳以降の中高年女性の体質改善を専門とするトータルウェルネスアドバイザーとして活動しています
思ったことはありませんか?
40歳頃から、疲れが取れづらい、ちょっと動いただけで息が上がる、イライラ・モヤモヤすることが増えた、ということ。
しかもそれを年齢のせいにして
「更年期だから」「仕方ない」とあきらめてませんか?
そんなあなたにこそ、目を通してほしいメッセージです
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私は今50歳を過ぎたアラフィフです。
夫の転勤により5年前に約25年勤めた会社をやむなく退職することになりましたが、40代半ばまで会社員をしながら、独身時代はフル稼働、残業当たり前。仕事が早く上がれば同僚と飲みに行ってストレス発散。休日は体と心の疲れを自分のご褒美として週1の整体でほぐしてエネルギーチャージ。でも平日の生活パターンは変わらず、という生活を25年近く繰り返しました。
出産後はほぼワンオペで仕事・家事・育児に奮闘。朝夕雨が降ろうとママチャリを飛ばして保育園と会社の往復の日々。
40歳過ぎたあたりからなんとなくの不調や疲れやすさを感じるように。でも、「年のせい」と疑いもせず、ただ受け入れるだけでした。
整体通いを何年も続けるうちに、次第に体のほぐれる仕組みへと興味がうつり、会社員をしながら趣味で通い始めた整体スクール。体の不調がなぜ起こるのかと知っただけでなく、体と心はつながっているから両方のアプローチが不可欠と学びました。
夫の転勤がきっかけで、整体のお客様へのお体を整える自宅サロンを始めて4年。お客様が不調から解放されて喜んでくださり、やりがいを感じる一方で、次第に、首コリ・肩コリ・腰痛などをおこしにくい、疲れにくい体づくりが一番大事で、そのためお一人お一人への生活習慣にもアドバイスしたい、サポートしたい、と真剣に考えるようになりました。
そんな中で、奇跡のご縁で出会った恩師から
・運動・栄養・休養の生きる上で大事な3サイクルの質をいかに意識して高めるの大切さ。それが疲れにくい、痛みが出にくい体づくりにつながる
・さらに40歳、50歳、60歳からでも健康寿命を延ばせる
ための、理論と正しい方法をがむしゃらに学び今はパーソナルトレーナーとして活動しています
もし、同じように思っている人がいたら、参考になるかなと思い
私のこれまでの歩みを書いてみました
ごく普通のサラリーマンの長女として田舎でのびのび過ごした幼少期~高校生
私は1972年9月、三重県の四日市市で生まれました。父はサラリーマン、母は専業主婦、二つ下の弟がいる4人家族です。10歳まで三重に住み、小学5年生になるタイミングで父の転勤で山口に引っ越し。三重の記憶がほとんどないですが、幼稚園の頃からピアノを始めて、これは中学2年生まで続けました。他にも、習字やそろばんを習っていましたが、特にその頃は体を動かす習い事はありませんでした。でも、父がよく卓球に連れて行ってくれて家族で遊んだのはよく覚えています。性格はとてもおとなしく、人前で話すのも苦手で引っ込み思案でした。
中学は剣道部、高校は弓道部へ入部。武道がカッコイイというよりも、当時人気だったテニスやバレーボールといった王道とは違うことがやりたかったタイプで、なんとなくかっこよく見えた剣道部、高校は弓道部を選びました。縁あって、長刀教室にも通いながら弓道と長刀の2つをこなす高校生活。ラッキーなことに長刀では国体にも出場できました。また同時に夏は野球の臨時の応援団を3年連続やりました
小学生時代と違い、外での活動的な日々。しかし、片目だけ視力が極端に落ちてひどい肩こり、また偏平足からくる足が疲れで、中学生のころからよく親に肩や足をほぐしてもらっていました。
この頃、母はパートや、趣味の革細工や洋装・和装のスキルを活かして内職をしていました。70歳過ぎた今も地元で週に2,3回喫茶店に働きに出ているようで、昔から働き者の母。父は会社員で定年を迎えましたが、長い間ギャンブルにはまり生活費も使い込んだことも多く、母が内職で生活費をサポートしていたと後で聞きました。また、当時、弟が中学の部活でのけがをきっかけに暴れるようになってしまい、母が頭痛でよく寝込んでいたのを覚えています。そんなわけで早く自宅を出たかったのもあったのか、神奈川県の短大へと進学しました。進学の費用や一人暮らしの費用は我が家からしたら莫大なお金、それでも、母が和装の内職で入学金をまかなってくれたと後で聞き、今になってわかる親の苦労を痛感します。
関東への進学・就職
進学先は受験失敗しての短大。諦めきれず、4年生大学編入試験にチャレンジするもまた失敗。短大の専攻科に1年通ったのちに第一志望の会社に入社できましたが、受験失敗のコンプレックスはいまだに夢で見るほどのトラウマで受験シーズンになるといまだに胸が苦しくなります。
21歳で入社した私は「キャリアウーマンでバリバリと働く」ことを夢見ていました。でもイメージとは裏腹に、来る仕事は雑用ばかり。伝票作成や事務用品購入、上司の手書き講演資料をパソコンで清書など。ほとんど動かずお菓子の船が毎日回って来て食べていたら3ヶ月で5キロ増。
25歳の時、希望が叶い異動先の部門は今までと真逆の忙しい部門。〆切に追われて時間忘れて働きました。憧れのキャリアウーマンに近づいたと嬉しくもありました。
大親友との突然の別れと職場での葛藤
そんな慌ただしい日々の30歳の時、大親友を原因不明の突然死で亡くしました。彼女は当時ご主人の駐在帯同で海外に在住。家族関係で悩んでいていました。海外で深い悩みを相談できる人がいないと、メールで悩みを打ち明けてくれてました。悩みの一方で精力的に自分の夢に向かって努力していたのも知っていた。海外のご主人から電話が入った時に「え?まさか?これは夢だよね?」と何度も聞き直し、受け入れがたい事実に人目もはばからず駅のホームで大泣きしました。この時私は、心に抱える悩みの怖さ、身近に頼り先がなく気持ちが行き詰ってしまったかもしれない親友のことを思い、もっと私にできることがあったんじゃないだろうかとずっと後悔しています。
そこから、また仕事にのめりこむようになり、同年職場業務と兼務で労組業務にもかかわることに。夜中まで働きました。やりがいはありましたが、理想と現実のギャップや理不尽なことも多く、心身疲弊してメンタルクリニックに通うことに。「統合失調症」と言われて投薬と通院が約1年続きました。当時は怒りのコントロールができなくなり、ストレス発散といいつつしょっちゅうお酒を飲み食事はおろそかに。その結果極端にやせ細ってしまいました。でも、この時は痩せたことが嬉しかった記憶があります。もともと太ってなかったのに、病的にやせていたあの頃。171㎝で50キロを切った状態。いくら週末のご褒美整体を毎週続けても、全く追いついていませんでした
5年間の労組業務終了後、ふっと肩の荷が下りて今度は全力で職場の仕事にまい進をと思っていましたが、上司から煙たがられて1年半は職場で無職の状態。入社最初職場での暇で辟易していた時期と違い、35歳だった私は焦りしかなかった。ある時ついに大きな仕事に関わるチャンスが到来。これまで煙たがっていた上司もやっと認めてくれるようになった矢先に、長男の妊娠が分かり、上司に報告したらため息をつかれました。一年育休して復帰し、4年後に待望の二人目の妊娠。一人目と同じ上司には「こういったら悪いけれど本当に残念だね」と言われました。上司の期待を裏切る形になったということだったのだと思います。
大好きな祖母との別れ
私の祖母は70歳過ぎまで元気に旅行に出歩く祖母でした。しかし、ある時から糖尿病を患い、週2回の透析治療がスタート。当時は1回で3,4時間は病院で透析を受ける。帰ってきた後も体がだるくて使い物にならず家で寝ていました。これが週2回。祖母はモチロン、そこに付きそう父や叔母も大変そうでした。
ある日、91歳の祖母が近所のコンビニに行こうとしたときに、ちょっとした段差につまずいて骨折。動くことも少なくなり筋肉が細っていたのでしょう。そこから結局外出することはできなくなり、急速に弱って寝たきりで亡くなりました。6か月前には透析をしながらも自力で歩き生活ができていたのに、あっという間のこと。糖尿病が原因ではなかったものの、生活習慣からきた糖尿病をきっかけに行動範囲が狭くなり、筋肉が衰えるなど他の影響ももたらすことになると実感しました。
整体教室との出会い
私は子供のころから両親に体をほぐしてもらっていましたが、会社員になってからは体の疲れとストレスを癒すために、よく整体院やリラクゼーションサロンに通っていました。そのなかで手技や人の手を通して感じる相手との相性の違いに興味が出てきて、「日本おうち整体協会」にて46歳から学び始めました。平日は会社員、週末に子連れで講座に通いました。どうせ学ぶならプロセラピストの技術を学ぼうと、プロセラピストのコースを受講。でも当時は会社員を辞めるつもりは全くなく、あくまで趣味として通っていました。ここでの学びを経て「家族のちょっとした不調は、病院や薬に頼る前に自分の手でもできることがある」「体をほぐして血液やリンパ液が十分巡るカラダになっていれば、そもそも不調になりにくい。未病の状態から薬に頼りすぎず自分の免疫力で回復できる」と知りました。
今や日本の税収入の2/3が医療に使われている異常事態。今後少子高齢化が加速する中で、一人一人が健康意識を高めて医療費低減に努める必要性に気づくこと、また親友の死や自分の会社員時代を通じて、体と心はつながっているから体だけでなく人との触れ合いや心の整え方を学ぶことで心も整えていく必要がある、という点にも大きく共感し、プロセラピストとしてだけではなく、おうちでのケアや心の整え方を伝える講座インストラクターの資格も習得しました。
夫の転勤
第二子の育休から復活した私は、もう43歳。完全に昇進も遅れたけれど焦りも無くて吹っ切れていました。製品開発プロジェクトに関わりやりがいを感じてイキイキと働いていた頃に、夫の転勤話が浮上。私47歳でした。
数か月真剣に悩みました。夫に単身赴任をお願いしたこともある。でも夫を単身赴任させてもし心身の不調になってしまったら・・・友人の時のように後悔することはしたくない、という気持ちと、子供たちにとっても将来の糧になると思い帯同を決意。帯同休職制度がない会社だったため、25年働いた会社生活を思わぬ形で終えることになりました。
家族での移住
2019年8月、私は子供二人を連れて渡英。先に夫が住宅などの最低限の環境は整えてくれていたので助かりましたが、子供二人を抱えて文化が全く異なる環境での生活は想像以上につらい。まず、言葉が自由に話せない、何を言っているか分からない。生活品の調達もどこに何が売っているか分からない。子供たちの学校もどうしたらいいか分からない。日本で当たり前にできていたことが何一つできない。自信喪失し家に引きこもる日々。完全に運動不足もあり体と心は重く、一気に社会からも切り離されたような気分で鬱々としていました。そんな時に、ある方から「肩こりなどに悩む方が結構いるが行ける場所がない」と言っているのを聞いて、「もし私で役に立てるなら」と自宅の一室でサロンを始めました。
リラクゼーションサロンスタート
2020年から始めたサロン。でもすぐにコロナ休業。外出制限で施術は提供できませんでしたが、一方で仕事が休業になって時間が取れるようになった方が、この時期だからこそできることをやりたい、と、オンラインでおうちで家族のカラダを整える方法や、自分の心の整え方を学ぶホームケア講座を受講される方が出てきました。
「病院にも気軽に行けない今こそ、自宅でできるケア方法を知りたい」
「コロナで仕事が休業状態。この先どうしたらよいのか途方に暮れていたけれど、講座が心の在り方を見つめるきっかけになった。一筋の明かりが見えた」
と喜ばれる方もいて、改めて体と心を整えるケアが必要とされていると痛感しました。
ロックダウンが解除されてからは、徐々に施術を再開し、たくさんの方から「とても体が楽になった。体ってこんなに軽かったんだ!」「楽にしてあげたいという気持ちが強く伝わってきて、精神的にも癒されパワーをもらえた」「上がらなかった腕が楽になっていて、思わず万歳した」「毎月の片頭痛で痛み止めを手放せなかったのが、今では薬に頼ることがほぼなくなって嬉しい!」
と喜びの声をいただけて、誰かのサポートができていると素直に嬉しいですし、ここまでのたくさんのご縁があったからだと感謝しています。
師匠「谷けいじ先生」との出会い
施術に来てくださるお客様に頼りにされ、お役に立てることはとても嬉しい。でも、生活習慣からくる姿勢の悪さなどで、月1のメンテナンスだけでは痛みが再発することも多い。コリは過去からの積み重ねなので、1回や2回で終わるものでもない。もちろん人の手でほぐされるリラクゼーション効果は絶大だから、施術提供は続けていきたい一方で、自分の体を本気で改善させたい人がいらっしゃるなら、自宅でできるケア方法も合わせてアドバイスできるようになりたい、と考えるように。
そんなときに、たまたまSNSで谷先生に出会いました。
何気なく覗いてみると、谷先生の考えと自分の考えがバチンとハマりました!
「健康格差をなくす」
「医療や介護の費用、人的負担が膨大の将来においては、一人一人が健康への意識を持ち取り組む必要がある」
「体は何歳からでも変われる」
私は師の元で、運動・栄養・休養の多面的視点で健康をサポートできるメソッドを徹底的に学びました。
紆余曲折あったけれど、今私は一人でも多くの健康寿命を延ばすサポートができる今は、必然だったと思っています。たくさんの経験があるから、今の私がある。たくさんの縁が導いてくれました。もちろんこれからだって、思ったようにいかない苦難や荒波もあるだろうけれど、その時できることを、クライアントさまのためにベストを尽くす、と誓っています。
若い時は老いた自分のことはなかなか考えらない。気になるのは外見ばかりでしょう。でも、美容院やネイルサロンなどできれいに整えても、体の内側が整っていなければ、外見の手入れは追いつかないんです。
さらに、体と心はつながっているから、体を動かすことで前向きになったり心の在り方も変わるのは私が実感してます。1人でどうしようと悩むよりも、どう向き合うかを私と一緒に考えて行動すればきっと変わります。健康に不安を抱える日々からも解放されます。むしろ、体や心に気がかりなことがでてきたら、それは変わるきっかけだととらえて、私と一歩を踏み出しましょう
✓40歳を過ぎてから体力に自信がない
✓50歳を過ぎて将来への健康不安がある
✓60歳を過ぎてカラダの反応が鈍くなったと感じる
✓仕事・家事・育児に翻弄されて、つい自分の体は後回しにしている
✓病院に行くほどではないが、なんとなく不調を抱えている
✓慢性疲労・肩こり・首こり・背中のハリに悩み、さらにはストレスによる慢性頭痛や不定愁訴に悩まされている
✓更年期でホルモンバランスの変化が加わり、不眠・不調・疲労感の連続
✓おうちで自分や家族の健康レベルを上げていく方法を知りたい
✓将来、認知症になりたくない
✓将来、できるだけ自分のことは自力でやりたい
✓将来、病院で寝たきりになるのは嫌だ
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人生100年。寝たきりや介助生活にならずに、できるだけ人の手を借りず長く自活生活を目指したいなら、その未来に向かって今から一緒にチャレンジしませんか?40歳、50歳、60歳、70歳、いつからだって体は変えられます。でも早く始める方が断然いい!
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