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海見ながら音楽聴いてたら気付いたら泣いてたin由比ガ浜
こんばんは。
今日は昼間用事がなくなったので久しぶりに海を見に行ってました。と言ってもわたしは家から5分のところに浜があるので冬になるまではよく行ってました。そして、いま思うと今年初めて浜に足を運びました。
今日は昼間12℃で快晴ということもあり観光客やら、ご近所さんやらで浜は大賑わいでした(笑)あと、ハトとカラスとトンビもいつも通り多かった。
普段一人で行くことはほとんどなく今までは誰かと散歩したり、誰かと浜に夜飲みに行ったりが多かったのですが、今日はガチの一人で何の用事もなくただただボケーっと座って海だけを見てました。
最初は森瑤子の『情事』を読んでたのですが、さすがに12℃の快晴でも海風にずっと当たってると手がかじかんできてページがめくりにくくなると共に、結構良い意味で煩悩にまみれてる内容だったので途中で読むのをやめ、カバンに直しました。
なにも考えずずっと海だけを見ること2時間。今考えると気付いたら色々考えてたのかな。そんなことはどうでも良いや。
悲しいことがあったとかでもないし、嫌なことがあったわけでもないが原因不明で自分の瞳から涙がぽろぽろと落ちてました。まるで自分の涙でないみたい。不思議ってこういうことかなって思った。
わたしの友達のNちゃんが過去旅中にすべてを失い、たしかネパール?あたりだったかな、その時近くの寺に3日ぐらい居させてもらい(というかただ居ただけ)、3日目の朝寺の人がNちゃんに白湯を渡したそうな。それを飲んだ時に彼女は原因が分からないが突然目から涙があふれだしたと言っていた。
その話を聞いた当初はそうなんや。ようわからんけど。って思ってたけど。
今日何となくわかった気がする。なんか突然不意に目から涙が落ちたのよね。
心が洗われてるってことかな。浄化された気がした。とてもスッキリした。
時々自然に触れないといけないのかもねと思った。ここ最近煩悩にまみれすぎてたわ。あっぶね。
それでまぁ少しは色々考えたんだけど、ちなみにこのブログを親も知ってるしみんな結構知ってるのだが、そんな場所に好き勝手ヒトのこと(親)書いたこととかは、結局親にわたしのこと分かってほしいってどこかで思ってたんやろうかと。それも、本心全て。からの、何言うてもお母さんは受け入れてくれると思ってたんやったら(わたしが)、わたしまだまだ子供やなと思った。おこちゃまやなと。
あと、コロナからの戦争がはじまってきたりと、正直いつ海外に行けるか分からないので、行きたい気持ちはあるけど、もう早く行きたいとかの気持ちは自分の中で消し去ろうと思う。
それより、やらなければならないことの方がたくさんあるように思った。
行けるかわからない海外に目を向け落胆するのではやめようって。
わたしはこれからも私独自の感性を磨きたいなって、その中でセンスと感性のあう人々に巡り合えたら幸せかしら。
いつも通り焦らずゆっくりと。
ちなみに今日、海見ながら聴いてた歌手は
アップル・パイ、流線形、一十三十一、比屋定篤子でした。
普段はシティポップやらボサノバ、やたら大好きなオリジナルラブが多かったですが、浜では松任谷由実や山下達郎タイプのミュージックが心に良いかもと思いました。
みなさんも、時々何もしなくて海やら山やらでボケーっとするのとても良いですよ。
おススメします。いつも本当にありがとうございます。