明日の種をまく 055_20231103
三つ子の魂百まで
本日、弟の娘(姪っ子3歳)が七五三のお参りをした。
実家の地域では、11月3日にお祝いをする。
私自身、7歳のお祝いの記憶がない。
・・・と言ったら、母は怒るだろうか?
ちゃんとしましたよ!なんてこと言うてくれるか!と。
それでは3歳の記憶があるかといえば、もちろんないわけだが、小さい時によく見た写真が七五三の着物姿だったから、その姿だけは記憶に定着している。
われながら、ぶちゃいくすぎる。
聞くところによると、私は右手に鉛筆、左脇にノートをもって、常に書き書き勉強をしている子だったという。
全然、可愛げがなく、男の子みたいな感じ。
お人形さんも持たない。
プラレールとゴレンジャーで遊んでいたらしい。
「ちょっと変わったお子さんですね」
とよく言われたらしい。
でもうちの両親はそれが誇らしかったという。
変わった子というのは、誉め言葉なんだろうか?
今でも変わった娘さんと言われるのを嬉しがっているようだ。
人と違うことを小さい頃から容認されて育った私は、我が道をずーっと歩んできた。
哺乳瓶が全然卒業できず、ミルクを卒業しても、オレンジジュースを入れて飲んでいたらしい。
私は今でも牛乳はあまり得意ではない。小さい頃から牛乳は給食で無理やり飲んだ程度、それ以外はジュースで育ったと言っていいだろう。
これが祖父による甘やかしの始まり。
母の意向はどうだったか知らないが、近所の酒屋からオレンジジュースをケースで買ってきて、それを哺乳瓶に移し替えて飲ませていた、という話だけ聞いている。
「お前はオレンジジュースで育ったんだ」
小さい頃、よくそう言われたが、仮に小さかった私がそれを欲求したとしても、途中で牛乳やヤクルトや他の乳製品に変える手立てはなかったのだろうか。
ピンクレディーに憧れて、床の間を舞台にして、一生懸命UFOやサウスポーを唄って踊っていたらしい。
「この子は度胸があるな」
そう言ってみんなが期待したという。
たぶん・・・子どもってたいがいそんなもんだと思うのだが。
初めての子ども。しかも女のコ。
みんなが初めてのことばっかりで、私の仕草や言葉に一喜一憂し、一家のアイドルとして、みんなにちやほやされて育てられたのであろう。
「こんなんできましたー」
3歳まで自由奔放に育ててもらった私は今50になる。
「三つ子の魂百まで」か。
ようやく半分でっせ。
タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。