ほのぼの生きる 131_20230530
準備不足は命も危険にさらす
先日、私は相当の楽天家だという記事を書いた。
楽観主義はベストであるとは言えない。
完璧主義にどこか憧れているところはある。
人は自分ができないことを求めるものだ。
私の人生、もっと準備をちゃんとしていたら、
いろんなことに真剣に向き合っていたら、と思うことは多いにある。
逆に、楽観主義であってもそこそこいい人生を送ってこれたことも事実。
メンタルについては完璧主義でなくてよかったと思うことの方が多い。
私がいい加減なばかりに、命を落としそうになったエピソードを思い出したので書いてみようと思う。
若い頃、いろんなことに興味をもっていた。
長く継続する趣味は少なかったが、とりあえず1回は何でもトライしたいという気持ちがあった。
そうなってくるとお金の問題が生じる。
1回登山しようとなった時に、全てのものをそろえようとすると結構なお金がかかる。
ウェア、靴、帽子、リュック・・・
私は今回ボルダリングを始める時、シューズをすぐには購入しなかった。
自分が続けられるかどうか自信がなかったからだ。
30回続けてみて、ようやくシューズを買ってみるかという気になった。
レンタルシューズは200円。30回で6000円。
今回買ったシューズは13,000円(しかも27,000円のものが半値以下だった!ボルダリングのシューズは高いのだ)
すでに10回以上は履いた。あと60回か・・・余裕だな。
元をとるまでは頑張って続けようと思う(笑)
というわけで、1回きりのチャレンジでは私はあまりお金を遣うことはしない。
スキーだってどんなにウェアがださくてもいつもレンタルだった!
さて、本題。
シドニーに赴任している時に、同僚とニュージーランドのミルフォードサウンドに行こうという話になった。
私としては本当は南極に行ってみたかったのだが、日数と旅行代が現実と合わず、5日間のトレッキングツアーに切り替えた。
私にはほとんど情報がなかった。職場の先輩(女性)が興味を持ち、誘われたので乗ってみた。職場に女性は私とその先輩の2名だったからだ。仲良くなりたかった。
先輩は自分のトレッキンググッズを持っていたが、私は持っていなかった。現地スタッフが同じ靴のサイズだったので、トレッキングシューズは人から借りた。リュックももっていなかったので、別の同僚から登山用のリュックを借りた。服はまぁ適当だ。スティック?必要だというので現地で借りた。
あり合わせの物で挑戦した5日間のトレッキング。
ミルフォードサウンドトレッキングが、世界でもっとも美しい散歩道だと称されているなんてこととはつゆ知らず。世界遺産なの?ふーん。
入山制限1日40人?ガイドは研修を備えたプロ?一体どんなとこよ?歩けばいいんでしょ?みたいな感覚。
私たちはオーストラリア組としてカウントされたが、ほかにもスイスやイギリスなどのヨーロッパから参加している人やもちろん日本からの参加者も数組いた。新婚旅行のカップルも1組いたかな?あとは長野県の名峰を制覇している登山のベテランの人たち。
完全に私はアウェーな感じだった。お姉さん、遠足じゃあないんだよ、と。
山小屋(ロッジ)で4泊するのも生まれて初めてだった。毎日午後2時頃になるとヘリコプターが頭上を飛んでいく。その方向にロッジがある。ガイドさんが「あれが今日の食料です。あと少し頑張りましょう。」と励ましてくれた。
このエリアは雨量が多く、真夏の12月だけが少ない。それでもずっと雨は降っている。レインコートは必需品だった(これもコンビニで売っているようなビニールの簡易的なものしか用意して行かなかった)。
だいぶ、ナメてたな。。。
3日目。ちょうど中日、歩くのにも慣れて気持ちも緩んだ頃だ。同じツアーの人たちとも仲良くなって、皆でワイワイ楽しく歩いていた。
ちょうど小川のようなところにさしかかった。川を渡れるように丸太が渡してある。
みんな、じゃぶじゃぶと川に入って歩いた。
私は・・・借りた靴だったので、なるべく汚したくないという気持ちがあり、「安全な」丸太の上を歩いた。
一瞬のことだった。
視界が青い空を向いている。
しかも体が軽い。
皆の顔が上にあった。
ゆっくり、いや、急いで状況を把握。
滑ったのだ。
丸太の上は水でつるつるだった。
そっか・・・・
でも、今のこれはどういう・・・
私は小川の崖に宙ぶらりんになっていた。
あっそっか、ここは山の上だった。標高どれくらい・・・?
登山と違い、平な道(約53km)行くので、山の中だということをすっかり忘れていた。
私は、同僚から借りたリュックに助けられていた。
リュックにたくさんのロープが張られており、運よく木の枝がそのロープの間にひっかかったのだ。
たくさんの木の枝が上手いこと私の体を支えてくれて、下に落ちることなく、仰向け状態で引っかかてくれていた。
ガイドさんたちが慌てて助けてくれて、私は一命をとりとめた。
大惨事にならなくてよかった。
海外赴任中に外国旅行に行き、死んでしまったら、結構大変なことだっただろうなぁ、と思う。
私はこの時、強く「生かされている」と思った。
世の中にはあっという間に命を落としてしまうことが多々ある。
本人にその気がなくとも「運悪く」ということが。
そういう意味で、私は本当に運が良かった。
自分の意志ではなく、見えない何かに助けていただいたのだ。
君はまだ死んではいけないよ、と言われた気分だった。
「生かしてもらっている」
本当にそう思う。
同僚の靴を守りたいがために危険な目に遭い、同僚のリュックに助けてもらうという、皮肉な状況を体験し、「準備」はある程度必要だと思った出来事だった。
こんな目にあっても、私がいつも準備不足で、楽観主義なのは、死ぬまで治らないのだろうな。
それでも助けていただいた命は大切にしようと思う。
「生かしていただいている」という気持ちは忘れないようにしよう。