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ほのぼの生きる  174_20230714

愛情の受け取り方

昨日、うちの夫は仕事の関係で飲み会にでかけ、遅くに帰ってきた。
うちの地域は「ど」田舎のため、まだまだ飲ミニケーションが主流である。
今年に入ってから半端ない回数の飲み会をこなしている夫。
大人しい性格で、いつもモジモジしているのに、飲み会は好きなようである。人が好きなんだな、きっと。

私はそんな夫に対して、飲みに出るなとは一切言わない。
むしろ、飲み会に出ることも仕事の一環だと考えている古いタイプの人間だ。
よって、妻として協力できることはする。
車での送迎である。

昨日、22時ぐらいに電話がかかってきた。
「1次会が終わったんだけど、どうしても2次会に行きたいらしく・・・迎えを頼めるでしょうか」
「うん、わかった。これからだと24時かな?」
「すんません」
「OK」

24時まで眠気が来ないように、迎え直前まで風呂に入るのを遅らせた。
21時頃、祖母の部屋を覗いて見ると、テレビをガンガンつけ眠っていた。
「〇〇は帰ってきたか?」と聞くので、まだだよ、と伝えると自分も一緒に待つかのように眠る様子はない。
23時頃、トイレでウロウロしている祖母がいる。「〇〇はまだか?」
「さっき電話があって今日は遅くなるんだって。おばあちゃん、先に寝てて」

結局、夫からの電話があったのは、1時前だった。
車で往復して酔っ払いの話を聞き、家に着いたのは2時前。
夫が歯磨きしたりして洗面所にいると、祖母がトイレに起きてきた。
「帰ったか」
「うん」

96歳になっても祖母として孫の帰りを心配して待つというこの姿勢。
本当に脱帽である。
ばあちゃん、あなた面倒見てもらう方だから。
それでも、祖母は孫を心配する。
夫は祖母が自分の帰りを待ってくれていることを嬉しく思っているようだった。

私は・・・
私はこの「帰りを待たれる」のが大っ嫌いだった。
若い頃、大好きだった祖父は、やはり私の帰りを待っていた。
おもむろにアピールするわけではなく、こっそり、ひっそりと待っているのだ。
でも、何となく「今日も待っている」のが気配で分かる。

若かりし私は、これを「監視の目」だと思っていた。
どうして自由にさせてくれないんだ。
頼むから待たないで早く寝てくれよ、と。

祖父は私に「早く帰りなさい」と言ったことは一度もない。
朝、必ず気をつけて行ってらっしゃい、と送り出してくれ、夜、ただいまの確認をして、安心して寝ていた。
毎晩遊び歩いていた私(いや、勉強しにでかけていた時期もある)は、「祖父が待っているから帰らなきゃ」と勝手に脅迫観念をもち、まだまだ遊びたいけど、帰らなくちゃ!と思うのが嫌だった。
そして少しの罪悪感を持って家に帰ると、ふすまの向こう側に「さて寝るか」と安心して寝床に入ろうとしている祖父を感じて、イラっとするのであった。

同じ愛情なのに、どうして私は祖父の愛情が素直に受け取れなかったんだろう。
今は実家の母に同じような感情を持つ。
決して「干渉」ではない。「単なる愛情」なのだ。
私自身、後ろめたいことは何ひとつしていないのだが、なんだか「待たれる」という行為が今でも苦手である。

昨日の夫と祖母のやりとりを見ていて、少し反省しながら床についた夜中2時だった。


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