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明日の種をまく 010_20230911

音楽は世界共通

昨日、夫の朝帰りの記事を書いた。
「甘やかしすぎかな?」と書いたところ、「甘いかも」というコメントをいただき、そりゃそうだ、私もそう思う!と思いながら、コメントで返信を書こうとして、どうして私はこんなに夫の音楽活動に寛容なのかということを考えてみた。

私は小学校1年から中学校3年までピアノを習っていた。
今、何かの曲を弾いてくださいと言われてもほとんど弾けない。
コードも知らない。
それでも学校の授業の音楽はいつも成績がよかった。
音楽が得意だと思っていた。

夫のギターを初めて聞いたとき、驚いた。
何でも曲が耳に入ってくれば即興で合わせられる。
これだ!まさに私が理想としていた形はこれだ!
高校の時に初めてギターを手にしたときからの楽しい練習話はここでは省略するが、とにかく音楽漬けだったとのこと。

次に驚いたのは、海外赴任中の出来事だ。
現地の日本人駐在員の集まりがあって出かけた。
どうやら現地でバンドを組んでいる人たちがいるらしい。
そこで彼(夫)はすぐに駐在員のバンドの仲間入りを果たした。
一度ライブを観に行ったが、ついこの前あった人たちが仲良さそうにセッションをしていた。
海外に行っても使える趣味っていいなぁ~とその時思った。

さらには、現地の人たちとも交流し始めた。
英語が話せようが話せまいが、関係ない。
なぜなら共通言語は「音楽」だからだ。
誰かが音を出せば、また誰かがその音に重ねて、一つの音楽を奏でていく。
彼らは楽器で会話をしている。
私が得ることのできない喜びを共有し、楽しんでいる。

これには参った。

この人(夫)は、世界各国どこに行っても音楽でやっていける。
そう思った。

私なんて、当時、趣味は仕事と勉強。
趣味の勉強だって、英語がペラペラに話せるほど頑張りもせず、日本の政治経済、歴史、観光地について中途半端な知識しかないため外国の人に披露することさえできない。
結局何も身についていない愚かさを痛感したのだ。
私は生身になった時に闘える武器がない、と自分にがっかりした。

音楽を身にまとった夫に、私は絶対に勝てないと思った。
(勝つ必要は全くないのだが、現地では一緒に働く同志、ライバルに近い存在だったから、正直負けたと思ったし、本気で悔しかった)

そうこうしているうちに彼の音楽でない部分にも惹かれてしまい、結婚することになったのだが、夫からの条件はただ一つ。
「僕から音楽を取り上げないでほしい。自由に音楽をさせてほしい」だった。
これに私は同意した。
その代わり、私は勉強と仕事の自由をもらった。

結婚当時は子どもが生まれたらまたその時に考えようと思っていたのだが、結局私たち夫婦は子どもを授かることがなかったので、ずっと自由に自分の好きなことだけをして生きている。

私はどんな状況下にあっても夫から音楽だけは取り上げまいと心に誓っている。
音楽は夫の武器だ。
生きていく術なのだ。
どんな惨事に見舞われようとも音楽があれば彼は生きていけると私は思っている。
音楽が彼を支えてくれると信じている。

だから私は夫の音楽については何も言わない。
朝帰りしようが黙って笑って迎えにいく。
夫が幸せならばそれでいい。

でもね、頼んだ家のこと、やらなかったりしたら怒るよ。
畑仕事、ちゃんと手伝ってね(笑)
私が辛いときは家事もちょっと手伝ってね。

夫「NO MUSIC NO LIFE」
私「NO DREAM NO LIFE」

自由の先には誰かを幸せ(ハッピー)にしたいという情熱はある。


タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。



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