夢をつかむ! 038_20241011
ぶつかる二人
今日はいいことがあったから、家に帰るまで書こうと思っていたことがある。頭の中で文章を構成し、タイトルを決め、あとは書くだけだった。
アパートの駐車場で実家の母から電話がかかってきた。
この後の気分は最悪。
久しぶりに喧嘩した。
75歳と50歳のおババの喧嘩の話なぞ聞きたくないぞ。
ごもっとも。
それよりもせっかくいいことがあったんだったらそっちを書けば?
いいことは明日でも書けそうだから明日に譲る。
悪い気分は今日のうちに吐き出してしまわないと明日までこのもやもやを引きずるのは嫌だから、今日書くことにする。
私は今年まだ実家に帰っていない。
11月の母の誕生日に合わせて帰省するつもりで飛行機の予約もとった。
2カ月前からの計画だった。
義祖母が入院をしている。
これについては本人が一番かわいそうな状況であり、家族はしっかりと見舞いをし、元気づけている。
命に別状はないが、寝たきり状態なので、退院後に入れる施設を探しているところ。
義祖母が施設に入所するまでは帰省はできないなと思った。
母は「そんな状況だから帰らなくてもよい」とは言ったが、私は75歳の母を想うとそれはそれでかわいそうな気がして。
誕生日を祝うのだって来年、再来年、無理かもしれない。
そう思えば今年のこのタイミングは二人にとってとても貴重なものだったのに。
悔しくてならない。
だからといって義祖母になんの責任もない。
今は義祖母のことが一番だ。
でも私たち二人の親子の間に微妙な気持ちが行き来している。
ふと母が誤った言葉を放った。
「おばあさんが亡くなるまでは帰ってこれんかもしれんな」
私はその言葉にカチンときた。
はぁ?💢
そりゃあ97歳も生きたのだからもういいだろうと言う人もいるかもしれない。
それでもばあちゃんは私たちの家族だ。
今、一生懸命毎日見舞って、寝たきりが車いすまで戻るといいなと淡い期待をしながら、ばあちゃんの回復を待っている。
これは家族のエゴだろうか。
冷静に考えて、97歳で大腿骨を骨折し、寝たきりとなってしまったばあちゃんにもう一度車いすに乗れるようになれるといいね、なんて思う方が酷いのだろうか。
「お前はおばあさんの痛みがわからんか」
「いや、ばあちゃんを看ているのは私たちだけん、関係ないおかあちゃんが口挟むな」
売り言葉に買い言葉。
口調がどんどん荒くなっていき、声も大きくなる。
「家族のことに口出さんでよ。ばあちゃんのこと、何も知らんくせに、そんなこと言わんで。ものすごい傷ついたけんね!💢」
電話口で、無神経な発言をする75歳の母を怒鳴る50歳の娘。
それでも母が本気で義祖母のことを心配していることは知っているし、何なら毎日仏壇に手を合わせて祈ってくれていることだろう。おそらくその心配の度合いは、孫嫁の私よりも情に深いものがあると思う。
もっと言えば、母の心配は義祖母よりも毎日のように義祖母の見舞いに行き、余計な心配や苦労を背負い、帰省もできない娘にあり、娘の不憫さを憂いで辛い気持ちになっていることだろう。
そんなの分かっとるで、おかあちゃん。
それでも私はここの孫嫁だ。
私には私の責務がある。
それにしたって、娘に「私たち家族のことは放っておいて」と言われる悲しさは、言われた母にしかわかるまい。
言った娘が後悔する。
ごめんよ、かあちゃん。
75歳と50歳の母娘の喧嘩は、やはり50歳の娘が我慢しないとダメなんだろうな。
あーーーまたやってしまったーーーー
<1年前の”種まき日記”>
noteの振り返り記事自体が初々しい(笑)
毎日連続投稿650日を達成した私は、もうフォロワー数を全く気にしなくなってしまった。
フォローだけつく人は基本フォローバックしない主義。
私の記事にスキがついたフォロワーでない人は、まずその人の記事を読んで、いいなと思ったらフォローすることにしている。
<2年前の”つれづれ日記”>
転職を希望したが、見事に断れてしまったことに対して、しっかりと自己分析をしている。今となってはここに入らなくてよかったかな?いや、でも入れてもらっていたら学べたことはやっぱりある!!そういう意味で、私の挑戦は間違っていなかったと思う。残念ながらご縁がなかった。