明日の種をまく 005_20230905
夢見る子
最近、子どもたちと触れ合うことが多くなり、自分の小学生、中学生の頃を思い出してみている。
昭和60年。
私はこの言葉に出会った。
6年生の時に新しい校長先生がやってきた。
山本校長先生(仮称)
背がすらっと高く、細身で紳士的、笑顔の素敵な校長先生は、49歳になっても私の記憶に鮮明に残っている。
春の始業式で「夢見る子」のお話をされた。
校長先生の口癖だった。
教育理念だったのだろう。
私たち一人一人に「夢見る子」になってもらいたい、と校長先生は事あるごとに口にされていた。
卒業式では、校長先生が一人一人に直筆の色紙をくださった。
実家にあるかなぁ。もうないかな。
でも字の形まで思い出すくらい、小学6年生のうぉんのすけには響いたのだった。
真面目な私はそれを生涯の目標にした。
あの校長先生に出会わなければ、夢を追う子にはならなかったのかどうかはわからない。
でも、今の私より年上だった校長先生が目を輝かせて「夢を見る子になりなさい」と言ってくださったことは、私の人生でとても大事なことだったように思う。
卒業式といえば、もう一つ思い出すことがある。
教頭先生に最後の最後まで「ダメ出し」をくらったことである。
私は小学校を卒業するまで、とうとう自分のことを「わたし」とは言えなかった。
自分のことを自分の名前で呼んだ。たとえば「まゆ(仮称)ねぇ」と言った感じで。
教頭先生は女の先生で体格もよく、ちょっと怖い顔の先生で苦手だったが、教頭先生は私のことを気に入ってくれているようだった。
毎回、話しかけられるたびに「呼び名」のことを注意された。
そして、とうとう直すことはできなかった。
自分でもよくわからない。
「わたし」と呼ぶことは大人になると思っていたのかな。
親の手前、先生の手前、友だちの手前、急に「わたし」と言い方を変えるのがとにかく恥ずかしかった。
からかわれるんじゃないかと思って・・・
結局、中学に入学したタイミングで「わたし」と呼ぶようにしたような気がするが、それはあくまでも外向けのことであり、家では自分の名前で通した。
この癖、まだ直らず・・・
49歳になっても「まゆ(仮称)ねぇ」と言ってしまう(笑)
それでも小学6年生の校長先生と教頭先生は私に大きな影響を与えた大人だったなぁと思い返す今日この頃。
今日はバス遠足(校外学習)だったが、私は少しでも子どもたちの記憶に残っただろうか。
全く興味なさそうだったな。
別に名前を覚えられなくてもいい。顔も覚えられなくてもいい。
忘れられてもいい。
でも49歳になった時に今日の出来事を思い出して頑張る子が一人でもいてくれたら嬉しいなぁとちょっと思ったりしている。
どしゃぶりならぬ、小雨。
傘もさす必要もないなぁという判断ができるしとしと雨。
結局1日雨に濡れて、少し体力消耗。
子どもたちは帰りのバスでも大騒ぎ。
おばちゃんは疲れたよ。夕食つくるの、面倒くさい。
タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。
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