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夢をつかむ! 115_20250110

腕時計へのこだわり

先日、財布のことを書いたのだが、コメントいただいた方からは意外に財布を長年使っておられる方もあり、財布ってそんなに買い換えないものなのだなと認識を新たにしたところである。

ところで、腕時計はどうだろうか。

財布や靴に対しては「休ませる」配慮をしているのに、腕時計はずーっと使いっぱなしだ。
時計を複数持つということもない。
毎日、毎日、時を刻んでくれている時計に対して、全然配慮が足りていなかったのではないか、と反省した。
時計はたまに水をかけられたり、急に「邪魔だ!」と外されたり、とにかく主人である私の扱いが悪い。
だからなのか、動かなくなってから1年以上が経過した。

時計がなくては困る!と言いながら、壊れた途端に「仕方がない」と放っておかれる。なんて扱いの悪さなのだ。かわいそすぎる。

私は腕時計をいつからつけるようになっただろうか。
中学では記憶がない。
高校に入学したときに、母親に買ってもらった記憶がある。万がつくいい時計だった。
おそらく自分が身に付けるもので一番値段が高い物になっただろう。だから時計は高級品として大事に扱うものだと意識が芽生えた。

とても大事にしていたのに、高校の時に、私を好きだという男の子がいて、時計を交換してほしいと言われた。
私は悪い気がしなかったから、いいよ、と言ってしばらく交換してあげるつもりだった。しかし、結局、その子から私の時計は返ってこなかった。

私の時計は女物。彼の時計はベネトンのちょっとしゃれた時計だった。私の時計よりもきっと高いものだった。

何となく仲が悪くなって、疎遠になった時、私はその子の持ち物をどうしようか悩んだ。時計を捨てるという行為はなんとなくしたくなかった。だから、私はその子に時計を返したのだ。でも私の時計は返ってこなかった。

その時の私の心情は、その子との関係性が壊れたことよりも、母に買ってもらった時計を失ってしまい、母に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
そもそもなぜ時計を交換する必要があったのか。
私は恋愛において、そういうしゃれたことをする男子はとにかく信じるべきではないという変な感情が生まれ、恋愛上手みたいな男子には全く興味を失った。

就職してから自分の時計を買ったが、当時、中山美穂さんがテレビでCMしていたCITIZENの「LIGHT HOUSE」というブランドの時計を買い、とっても気に入っていた。
10年ぐらい使った頃だっただろうか、一番仲の良かった友だちが時計にはまり、一つ要らなくなったという。それを安値で買わせてもらった。これも気に入っていた。
そして、長く勤めた会社を退職し、結婚して故郷を去るときに、新しい人生の始まりとして、今の時計を購入したのだ。
これがとっても気に入っていたが、現在、故障中。

その後、似たような時計を探しても見つからない。同じようなデザインがないのだ。どうしても時計板が茶色がいい。

夫がみかねて、昨年の誕生日に時計を買ってやると言ってくれた。
ありがたかったが、気に入ったのが見つからなくて、結局購入することはあきらめた。探し続けてはいるが、気に入った時計が全然見つからない。
結局、私は腕時計なしでも生きている。
慣れてしまったことは慣れてしまったのだが・・・

新年が明け、今年の私の最初のミッションは、時計を修理に出すことだった。持ち物を整えること。なんとかそれを実践したい。
今日は時計屋さんに持っていき、修理をお願いした。
ところで、友だちから譲りうけた時計、就職した時に購入した時計はまだ持っている。捨て方が分からない。この処分方法も今年はちゃんと考えよう。

あと1ヵ月はかかるという。直ってきてくれるといいなぁ。

<1年前の”種まき日記”>
自分の人生は自分で後始末をしなければならない。
そのために、捨て活をしなければ!!
相変わらず義母は家を減築しようか、などと言っていて、お金を使うことしか考えていない。毎日の雪かきも辛くなってくると思うので、私としては、アパートに引っ越した方がいいのではないかと思っているが、夫はどう考えているだろう・・・近い将来を整えるために、今年はこういうことも話し合ってみるかな。

<2年前の”ほのぼの日記”>
異性の友だちもいいものだ。帰省したら必ず会う親友。
どっちも相手がいなかったら「老後はみんな似たような者を集めて共同生活しよう」と言っていたのだが、私はどうやらそのルートから外れてしまったようだ。いや、まだまだ人生は何があるかわからない。


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