ほのぼの生きる 096_20230420
鳴門の渦潮、一瞬で消える
最近は、積極的にタイムトラベル。
だってー、日々図書館で勉強とボルダリングしかしてないから
新しい話題がない。
note日記書くの止めたら~
まぁ、そうなんだけど、書くことはありそうなので、
昔の話、書いてみてまーす。
私の祖父は徳島県生まれ。
小さい時はよく里帰りにつきあった。
結構二人旅をした。
当時は瀬戸大橋はなかったから、連絡船で。
甲板の上で食べる素うどんがめっちゃ美味しかったな~
祖父は11人兄弟だったから、徳島に親戚がいっぱい。
里帰りするときって、自分もそうだけど、観光ってあんまりしない。
どちらかというと兄弟で集まって話をしたりして、家にいることが多い。
その日は、祖父の妹のだんなさんに鳴門海峡に連れて行ってもらった。
船に乗り、鳴門の渦潮を見たんだ。
私は珍しくて、よろこんで写真をたくさん撮った。
この頃、カメラというのものを買って、私は得意げにシャッターを切った。
小さかったからね、カメラのシャッターを押せば写真を撮れることは
分かっていたとは思うのだが、構造というか、どうやって写真が現像されるのか
そういうところまでは理解が及んでいなかった。
案内所の売店で新しいフィルムを買ってもらって、おじさんに教えてもらいながら、
フィルムをセットした。
ふんふん、そういうことかっ!
なんか知った気になっちゃったんだよなー
おじさんが近所のカメラやさんに連れて行ってくれて、すぐに現像を頼んでくれた。
私はカメラやさんのカウンターごしに、えっへんとなり、カメラからフィルムを取り出した。
昔のカメラの構造の記憶があいまいだが、たしか、フィルムがいっぱいになって終わりのボタンを押すと、巻き上げてくれて、きれいにフィルムケースに収めてくれるんじゃなかったかなぁと思う。
この時、もしかしたらあと何枚か残してしまっていたのかもしれない。
最初、フィルムをセットする時に、カメラに噛ませるためにちょっとだけフィルムを出して巻かせたのを覚えていた私は、カメラから取り出したフィルムケースについているフィルムをおもむろに引っ張って、カウンターに差し出した。
あーーーーーーーー
大人たちがみんなで大きな声をあげた。
うんっ?
小さな私は何が起こっているかわからなかった。
おじさんは私を責めたように(小さい私には一瞬そんな風に映った)、
「うぉんのすけ、これはひっぱってはいけなかったな。
撮った写真が台無しだ!!」
大人複数人が慌てて大きな声を出し、普段一緒にいないおじさんからの叱咤、
さっきまで興奮して撮った写真が台無しになった(私が台無しにしてしまった)事実を受け止めきれなかった。
わーーーーーーーんっ!!
大人の真似なんかするんじゃなかった。
知ったかぶりなんてするんじゃなかった。
得意げにするんじゃなかった。
覆水盆に返らず
この記憶はどこまでも私の心の中に残っている。
そして、さっきまで見ていた渦潮はもう二度と見れない、写真にも残せなかったと思ったからなのか、今でもその船の様子と渦潮をしっかりと覚えている。
あと驚いたおじさんの顔、責めてはいなかったが、優しく諭そうとしてくれた顔。孫の失敗を必死にかばおうとする祖父の姿。
それ以来渦潮は見ていないが、不思議なもので、今でもしっかり記憶にある。
鳴門海峡、渦潮、親戚のおじちゃん
嫌いになるかと思ったが、案外、いい(苦い?)思い出として、私は好きである。
いつか、リベンジをはたしたいなぁ。
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