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夢をつかむ! 033_20241006

病院の見舞い

97歳のばあちゃんが入院している。
その体は痛ましく、可哀そうである。

うちの実家の母だったらずーっと看病に付き添うのかもしれないと思う。

実際、祖父の時はそうだった。
約10年間、頭が下がるほど甲斐甲斐しく自宅で介護をしていた。
私はその姿を貴いと思ったし、見習いたいとも思った。
しかしあれは思うほど簡単なものではないし、とっても真似ができるような代物ではない。
だからこそ、やはりあの姿は神々しかったのだと思う。

私にもそんな「誰かのために」のような時期があった。
高校1、2年生の頃だ。
クモ膜下出血で半身不随となり寝たきりだった祖母の介護をしていた。
当時の両親はまだ40代にもなっておらず、働き盛りだった。
自宅で親を介護(看護)するという福祉的な社会文化もなかったと思う。

私はあの時の自分を少しだけ誇らしく思っている。
が今同じことをしろと言われても100%できない。
あの時の私は少し自分から逃げたかったんだろうなと思う。
そして家族の犠牲になっていることで自分を保っていたような気もする。
自分の存在価値を探るように私は家庭に自分の居場所を求めた。
今から考えるとだいぶ病んでいる高校1、2年生ではないか?
学校には行っていたが、私の生活の中心は家だった。苦労人を買って出たようなところがあった。

実家の母も祖父に自分の人生をかけていたようなところがあった。
毎日苦しいといいながら、あの時の母は生き生きしていた。

私は20代で誰かに依存することを止めたので、誰かのために生きることが逆に心の負担になるようになった。
25歳の時に急性腸炎で一週間入院したときも家族は見舞いに来ることはなく「あー病気をするということは孤独になるということだ」なんて、ちょっと寂しく思ったものだ。

私は誰かの完全介護(看護)はできそうもない。
だけど家族が病院にいるのに見舞いに行かないという冷たい人間でもない。
病院は不安だ。一人ぼっちだ。誰か見舞いに来てもらいたいものだ。

だから私はせっせとばあちゃんの見舞いに行く。
ばあちゃんは97歳。ずっと寝ていれば頭の働きもだんだん弱くなってくる。
先日は「顔は分かるけど、名前が・・・」と言われ「うぉんのすけだよ」というと「あーうぉんのすけだ、うぉんのすけ!」とすぐに思い出してくれた時は嬉しかった。
今日も「誰かわかる?」から会話は始まる。
ばあちゃんは「97歳にもなってこんな辛いことが待っていようとは。体がいてーな」とブツブツ話す。

見てて可哀そうになるが、何にもしてやれない自分を不甲斐なく思う。

noterさんの中にも親、配偶者、お子さん、ご自身が入院されているなどなどいろんな環境があるようにお見受けする。
お子さんの場合は特に自分のこと以上にご心配されていることだろう。
入院するのは非日常的なことだと思うし、家族を見舞うという行為も大変なご負担だと思う。

病気やケガなど原因はさまざまだろうが、患者さんが少しでも良くなりますように。ご家族の不安や心配が一日でも早くなくなりますように。


<1年前の”種まき日記”>
モモコはまだまだ元気である。が、やはりシートが汚い。カバーを作ろうと思って結局1年以上たっている。これではモモコが可哀そうだな。反省。
ミシンの話、まだ書いていない気がする。ネタがない時に書くかなー

<2年前の”つれづれ日記”> 
これはちょっとダークなインスタントフィクション。
辛い現状からどう逃げ出すかを考えたときに女優になりきることを考えてみた。
いかに自分の心をコントロールできるかが、周りに振り回されずに生きていく処世術なんだと思う。
そうは言っても「ダメ!いじめ!絶対!」

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