デジャヴ

 トニー・スコット監督のSFサスペンス「デジャヴ」について、今回は書いてみたいと思います。この映画、実は劇場で観よう観ようとは思っていたのですが、予告の微妙さとちょっと良くない評判が聞こえてきたので、なんとなく見送っていた映画でもあります。

 時間にまつわるサスペンスらしいと何となく聞いていただけでほとんど予備知識なく鑑賞したのでかなり度肝を抜かれました。まず観光客や水兵さんがいっぱい乗ったフェリーが爆破されまして、捜査官ダグ(デンゼル・ワシントン)がいろいろ調べたところどうもテロらしいと分かります。そしてFBIの人間がやってきて、凄く太っていて誰かと思ったらヴァル・キルマーだったんですが、それはともかく政府の監視装置を見てくれないかとダグに頼みます。ダグがかなり凄腕の捜査官だと見込んでのことですね。その監視装置というのはある地域限定で、衛星であったり監視カメラであったりそういった監視網のデータを統合してコンピューターに放り込んで一種の仮想世界のようなものを作って再生し、過去に起こったことを三次元的に自由なアングルで見ることができるというものです。ただし容量がキツいので巻き戻したりすることはできず、4日くらい前のことを並行して再生し見るチャンスは一回だけみたいな感じです。分かりにくいかつ変な設定なんですが、それはこの時点ではわざとそうしているのでいいのです。

 ダグは爆破事故と前後して見つかった女性の遺体に注目し、彼女が爆破前に殺されていることから、犯人との関わりを探っていきます。というか爆弾が積まれていたのが彼女の車だったので、例の監視装置で彼女の家を中心に監視していきます。まあ一目見て美人だし、個人的に気にかかっているみたいな演出があるのですが、そのせいでダグは彼女が監視に気付いているフシがあるのではと思い始め、ついに監視装置の秘密に気付いてしまいます。

 そうですコンピューターでデータを再生しているというのは嘘で、そのマシンは実際の過去を覗くことが出来るのでした。一種のタイムマシンというかタイムウインドウというか、そういうSF的な装置なのでございます。かなり荒唐無稽な話になっていきますが、演技や演出がリアルで緻密なためこの辺りはまだ説得力があります。過去の映像を見ながら犯人を追いかけたり、領域外に出た犯人を過去が見えるゴーグルをつけて現代の車で追うカーチェイスなどえらいワクワクします。よくこんなこと考えるなあという感じです。

 で、実際の過去が見えるなら誰でも考えることは一緒で、過去に干渉できないか、それによって事故を未然に防げないかということをダグは考えてしまいます。それをやった結果想定外のことが起こって過去も改変できなかったり、冒頭から張ってあった伏線がうまくつながったりして、凄く練られた脚本だなと思いました。この時点では。

 本当に途中までは凄く面白くて「これ大傑作じゃないか。なんで評判悪かったんだろう」なんてことを思ったんですが、いよいよクライマックスで、ダグはある決断をするのです。さまざまな情報が集まり、犯人も逮捕されて一件落着で捜査も全て終了なんですが、ダグはそれに納得せず、自分が過去に行って彼女を助けようとします。ポイントなのは巻き添えで死んだ相棒とかそもそも爆破事件で死んだ多くの乗客とかでなく彼女を助けようとだけ思ってタイムスリップするところです。まあこの辺が物議をかもしそうではあるんですが、とりあえず置いておいて、ここで私が思ったのは、全ての辻褄を合わせ、さらにハッピーエンドに導くなどという離れ業をどうやってやってのけるのか? ということです。それまでは伏線が全部つながってフェアプレイで進んでいるので、最後までちゃんと辻褄を合わせるだろう、と製作者たちを信じて、ただもうワクワクしたのです。

 最後までネタばれしますけど、それでラストはどうなるかと言うと、過去を改変してヒロインを助けて、爆発事件も起こらなくてハッピーエンドで終わったのです。私はちょっと呆れてしまいました。いやいやいやいや、それまでちゃんと辻褄を合わせていたのに、最後は矛盾とか全部無視かよ! という感じでした。

 しかし、見終わってエンドロールを見ながら私は思ったのです。途中まで緻密に全部辻褄を合わせておいて、ラストだけこうというのは変だ。脚本家たちも矛盾に気付いていないわけがない。だからこれはあえてこうしているのだ。つまりどういうことかと言うと途中までは過去は改変できない、時間はループするというルールで進んでいる物が、過去に干渉することにより、過去は変わり、その瞬間別の時間の流れができるというパラレルワールドものにシフトしているのです。ただこれは示唆しているだけで誰もそうだと説明してはくれません。そもそも誰も全てを把握していません。時間の流れが変わったら、元の時間はどうなるのか、並行して続いていくのか消滅するのかは分かりませんが、ラストではなんとなくダグの意識には体験してないはずの過去や未来の記憶の残滓が残っているような演出をしています。それこそがいわゆるデジャヴなのだ、ということでこのタイトルなのです。またタイムスリップするときのダグのセリフや、ヒロインの死体を初めて見た時からダグが何かを感じているのは、すでに一度過去改変に失敗したダグの記憶の残滓によるものなのではないか、という見方もできるのです(つまり描かれてはいないが何度もループしている)。そういう意味ではなかなかチャレンジングで面白い脚本だと思えてきます。

 ただ、こういった深読みできる脚本とトニー・スコット監督の演出が食い合わせが悪いというか、先入観なのかもしれませんが、カチッとした映像と職人的な演出があまりに途中まで心地よすぎて、またデンゼルさんと何本もいっしょに作ってきた映画もまた現実的なサスペンスが多かったのでそのイメージが強すぎて、ラストだけそういうイマジネーションの飛翔を観客に求めて、それによる補完で完成させる映画だと分かっても、ちょっと唐突すぎてついていけない感じがします。

 そんなわけで非常に興味深い面白い映画ではあると思うですが、やっぱりちょっと計算違いが残る惜しい映画だなあと思えたのでした。もちろん途中までのリアルな演出はミスリードするために必要なのですが、それが上手すぎるという長所が短所になっている、トニー・スコット監督にはありがちな問題なのでなかなか難しいですね。またしても理屈を長々とこねていい加減みなさんあきれ果てているでしょうが、今回はこの辺で。


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