《ラメンタツィオーネ》交響曲第26番
ハイドン 交響曲 第26番《ラメンタツィオーネ(哀歌)》 ニ短調 Hob.I:26 1768年頃
熱い!熱い!激しい!激しい哀歌が響き渡る!
内に溜め込んでいたものを一気に吐き出すような爆発的なエネルギー!誰にも止められないこの叫びを受け止めてくれる人はいるのだろうか。この感情はなんだ?哀しみと悲しみのどちらだ?そうこう悩んでいる暇も無い、次々と訴えかける熱い《哀歌》に圧倒される。この《言葉》に応えられるのはきっと神しかいないだろう。(典礼音楽からの引用があるから)
熱すぎた第1楽章から一転して穏やかな第2楽章。とても牧歌的な雰囲気。牧場?迷える小羊?なるほどここなら悩みも吐き出せそう。そう、ちょっとのんびりとね。駆け回った分、落ち着かせるのには広い牧場がちょうどいい。平原の遠くを眺めて世俗を離れる時間があっても良い🟩(典礼と世俗。何か意味深な雰囲気)
シリアスな第3楽章。ここは教会か?神と対話か?悩みを打ち明けるような場にも聴こえる。あれ?祈りにも聴こえるぞ。祈祷?懺悔?トリオ部分が裁きにも聴こえてきた。とにかく教会の中に居ることには変わりなさそうだ。さてトリオが終わってまた先程の繰り返し。なんだか不思議な空間だ。思ったより居心地も良いし、ずっとこの場に居ても良い感じ。まだ続きがあるのだろう。
あれ?フィナーレは?メヌエットで終わるの?何か物足りない。
細かいことはハイドン研究文献に任せて、あとは教会の祭事ということにしておこう。(この曲自体が教会の典礼音楽の前座ではないかという説)