和服を私服にすること
「恥の多い生涯を送って来ました」
太宰か誰かがそう書いていたが、私も目を塞ぎたくなるような黒歴史を量産し続けてきたものだ。今回は黒歴史の仲間入りになるであろう、私が和服を私服にするまでのことを書いていきたい。長ったるい私の駄文に時間を割いてくれれば幸いである。
お洒落高校
私が在学していた高校は私服自由だったので全体的におしゃれに目責める人が多かった。
私も例に漏れずファッションに目覚めたのだが、所詮この前までお母ちゃんが選んだ服を着ていた尻の青いガキである。足し算ばかりのファッションで何が何だが分からない奴になっていた。
当時母に「チンドン屋みたいだ」「昭和の漫才師だ」などと揶揄された。当時の私は「何言ってんだ、年寄りにこのセンスが分かるわけ無い」などと内心思っていたが、何言ってんだは私の方である。母の例えはまさに言い得て妙であった。
もし過去の戻れるなら往復ビンタでもして目でも覚ましたいくらい恥ずかしい過去だ。
そんな黒歴史を通りながら数年。その反動もあってか引き算のファッションに興味を持ち初めた。付けていた装飾品も日数が立つごとに少なくなっていった。奇抜さだけを重視し、周りの違う自分を誇りにさえ思っていた過去の自分に恥ずかしさを覚えた。
色々な失敗をして大人になると世間は言うが、この事かと、それに納得してこのまま個性がなくなっていく自分にも一種の寂しさと悔しさまでも感じた。
ミーハー 純文学に憧れる
そんな反省もつかの間。私は根っからのミーハーであり変人ぶるのが好きな男だった。
大学に入学をして少したち、私は純文学などを読むようになった。理由は「かっこいい」これだけだった。ただ古いだけの喫茶店を風情があるといい、500円もする漢字で書くタイプの珈琲を啜りながら小説に興じていた。どこかでこんなとこで本を読む自分が「エモい」とでも思っていたのでだろう。過去に戻ってビンタしてやりたい自分が増えるばかりだ。
しかしこの私のミーハー体質が良い方向に動くこともあった。
本当に文学にはまったのだった。巧みな語彙力で物語を彩る西尾維新に惚れた、「死」の価値観や人間のマイナスな感情を言葉で表せる中村文則に夢中になった、劇的な死を遂げた三島由紀夫に一種の憧れさえ抱いた。いつもは頭を抱えたくなるような黒歴史を量産するミーハー体質に今回ばかりは頭でも下げたい気分である。
ミーハー 一日で夢破れる
文学というか文豪、小説家に憧れた私はすぐに紙を広げ意気揚々と筆を走らせた。何か文豪の仲間入りした気分になった。しかし本当に気分と言うだけで文豪にはほど遠い目も当てられない駄文だった。
こんなにも才能はないものかと、古いマンガで使われる頭に何本か車線が入るくらい落ち込んだ。また黒歴史を量産しただけだった。私は何回未来の自分にビンタされれば気が済むだろう。こうして小説家になるという私のシンデレラストーリーは一夜の夢へと変わり幕を閉じた。
しかしこうした「文豪」に恋い焦がれつくした結果、今のライフスタイルに結びついたのであながち馬鹿にはできない。
私は和服に憧れを抱くようになった。一切の無駄がないフォルム、日本古来の伝統服、あの文豪たちも着ている,,,, 私の興味を引きつけるには十分すぎた要素が詰め込まれていた。
ミーハー 動きます
周りに和服を着る人はいないが私服として買いに行くことにした。
迷いもあった。高校時代のファッションのことも含めてまた黒歴史になるのではないかと。
しかしそんな悩みは和服を袖に通した瞬間杞憂に変わった。
こんなにも服を着るだけで感動するものなのか。本当に文豪の仲間入りできたような気さえした。袖を通したあの時の、あの感情を、私は一生忘れることはないと思う。
和服を日常着としてから周りから色々言われるようになった。
「浮いてるで」「文豪気どりやん」「コスプレみたい」 ものすごい言われようである。
賛否両論なんて甘く否が完封勝利している。
やはりこの同調圧力が蔓延する現代で変わり者は好奇の目でみられ揶揄される。
しかし私は和服を着てから毎日が楽しい。普段の道の風景が和服を袖に通すだけで特別に見える。背筋が自然と伸びる。だから私はこれからも和服を着ていこうと思う。
多分この和服の件とそれを書いてる今の私でさえ何年後かの私が見れば目も塞ぎたくなる黒歴史となっているだろう。
しかし自分が気に入ってるライフスタイルは他人には曲げないようにしたい。
今の私の暴走は、未来の自分にでもまかせていつかビンタでもしに来てもらおうか。
今日も私は和服に袖を通す。
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