歩く屍(しかばね)たちは何が目的なのだろう?目的なんて無いのかも知れない。考える事をやめた末路なのだろうか?
自分の職場の生きる屍達の話し
面白いことに今いる部署の人達は【挨拶】と言うものが出来ない。(全員では無い数名の人)
昔の正義中毒者だった頃の自分なら絶対に許さなかったであろう事実である。
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・まえがき
常識と言うのは実は少し苦手な僕だけど
『だって多数決の多い方の意見でしょ』
でも挨拶くらいは社会生活の中でした方がいいんじゃない?って思う
動物として唯一多様な言語を用いて
コミュニュケーションをとる生き物の
共通である最低限のマナー【挨拶】
これが出来ないのは
少なからず終わっていると思う
・屍(しかばね)みたいな人達
この人達はお金を稼ぐ為に勤めている
少し閉鎖的空間での職場なので、もともと人付き合いが苦手な人達なんであろうと思う所はある。
ここまではその様な環境もあるのだから
理解は出来る
ただし腑に落ちない点が1点ある
この人達は挨拶ができないのだ。
【おはようございます】この一言を発する事が出来ない
勿論、こちらは明るく元気に挨拶はしている
するとゾンビのように体だけはこちらに向ける
異様な光景である
簡単な挨拶【おはようございますが】言えない
不思議だなぁって思う
能力差はあれど勤務歴も
長いので仕事ができない訳では無い
コミュニュケーション能力が無いのかと思えばそう言う訳ではなく、自分たちの日常のどうでもいい会話は楽しそうに話している。
・きっと現実が見えていないんだと感じる
今の環境が見えていないのでは?と感じる
今当たり前のように存在する環境は知らない間に確実に時代に取り残され、
確実に少しづつ劣化するものであり変化に対応しないものは淘汰されて行くものだ。
仮に、歳も取らずに変化しない同じ環境が続くので有れば、もしかしたらそれでもいいのかも知れない、でもそれは成長もしないと言う事で、
その生活は何が楽しいのだろうか?と疑問に感じる。
そして成長とは自分の為にするものだが、
必ずそこには切っても切れない
人間社会での人間関係が存在する。
そこで最低限の【挨拶をする】この事ができない事は終わりを迎える事では無いかと思う。
おそらくだが、国が違えど【挨拶】と言う物は存在するはずだ。
新しい職場にせよ、新しい人間関係を構築するにせよ、【挨拶】この事が大事だと感じる。
【ルール】と言う物は環境に合わせて柔軟に変化する物だと思う。
しかし【挨拶】はルールではなく
最低限のマナーだと認識している。
常識の枠に囚われたくない僕ですが、
やはり人間社会で生きていくのならば
挨拶ぐらいは
守るべき最低限のルールだと思う。
挨拶と言う物は印象にも関係するので
大切にしたい行動ですね
・生ける屍とは?生き返りましょう
【生ける屍とは】
肉体的に生きているだけで、精神的には死んだも同然の人
社会生活の中でマナーとしての挨拶も必要ですが、(この章では)生ける屍になってはいけません。この事を言いたいと思います。
最初は誰でも色々な事に興味を持ち、好奇心旺盛に活動していたはずなんです。
大人になるにつれ、いつしか忘れてしまった気持ち
いろんな苦しい体験や、自分1人ではどうにも出来ない現実問題などで絶望した方もいる事でしょう。そして何かを諦めたり、大切なものも失ったり、人それぞれ今の自分になった歴史があると思います。
時に諦めることも必要ですが、現実に希望をなくし絶望して諦める事により肉体は生きているが、精神的には死んでしまい、ただ生きている状態【生かされている状態】生ける屍になってはいけません。
確かに人生に意味は無いかも知れません。
ただ生まれた以上は、人生の終わりが来るまでは屍ではだめです。
今更、夢や希望なんて陳腐な言葉は使いません。しかし精神的に死んでしまい、考える事さえやめてしまっては死んだも同然です。
どうせ嫌でも死ぬまでは、生きなきゃいけないのだから、どうせなら『自分はこんなもんだな、何の為に生きてるのかな?』なんて諦めず、現実を受け入れ、そこから前向きに生きましょうよ。
小さな事や、やりたい事をなんでも良いので
どんどんチャレンジして達成感や喜びを感じるんです。大きな事をする必要なんてありません。小さな積み重ねが知らずに大きくなるものです。
一緒に喜んでくれる仲間や家族がいれば尚更良いですね。そうでない人も問題ないです、捉え方の問題です。
生ける屍を選ぶのも、最後まで楽しく生きるのも、自分でどう捉えて考えるかです。
決めるのは自分です、他人は関係ありません。
自分の人生の中で最高の暇つぶしを見つけて
体も心も生きた状態で、考える事をやめず
最後まで楽しく後悔が無いように生きたいですね。
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