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帰りを待つ

チラと時計を見る。
深夜の2時半を過ぎたところだ。

ヴォルは焦れている。
この微妙で絶妙な持て余した時間と、絶妙にもどかしい疲労感に。
林檎社のデジタルペンを充電しつつ、安物のチョコ菓子を適当に貪り食う。
年に一度とはいえ慣れないことをするとカロリーもエネルギーも消耗がやたらと激しい。
珍しく読み誤ったな、正直スケジュールを詰め過ぎた。

…すろうは今頃は季節限定の短期のバイト先で奮闘しているんだろうな。

慌ただしい1年だった。
いや、現在進行形か。
8月末を切った辺りから変動と怒涛の日々が幕を開けたのだった。

毎年なんとなくの構想とネタ探しに2ヶ月割いていた年賀状のイメージは、今回は…多分2週間も掛けていない。
しまった。
原案を書き殴ったスケッチブックに日付を書き記し忘れた。

詰まった呼吸を無理やり吐き出すように呼吸をすれば、反動で冬特有の鋭く冷たい空気が肺に流れ込む。
__2022年が終わる。

長年連れ添ったパートナーは思わぬ形でヴォルの心に傷痕を残して決裂した。
終わりとはいつも呆気ないものだ。

そして終わりと共に気付かぬ何かが始まっているものだ。

ゆるやかに、始まりと同時に終わりへの秒読みが始まる。

___そんなことはわかっているのに。


僕はまだ歩くことをやめていない。
カレンダーを眺めながら、なんとなく最近の出来事を振り返ってみるが頭の中がごちゃごちゃしてピンとくるものがない。
いや、一昨日はクリスマスだったか。
なら先一昨日はクリスマスイヴだな。

毎日の記録をつけているわけではないので思い出す手掛かりが殆ど無い。
だが。

故郷の地に引っ越してからというもの、限られた自由の中で最大の本気を出している…ような気もする。

無邪気に、マイペースに、クールに。
…多分。
自分のことなんて自分ではよくわからないものである。
いや、自分に無頓着過ぎるだけかもしれないが。

そういえば11月の末頃にすろうの通う大学の学園祭に赴いたのだが、学園祭と呼ぶにはあまりにも異空間すぎたという思い出もある。
自分の世界を展開している個人も数人グループも、各々が独自の空気感を纏って鮮やかに生きていた。
これはそれなりに生きてきた自分の中でも初めての手触りだった。
____こんな人たちと同じ空間でアイツは学んで食らい付こうとしているのか。
腰が引けると共に憧れた。
こんなふうに生きてみたかった。

大体1年くらい前だったか、配信で「課題が終わらない」と毎日泣きそうになりながら追い詰められていくすろうを放っておけなくて、見かねて課題の添削をするようになった。
その頃は具体的な授業の内容や大学のコンセプトなんかは知らなくて、あまり首とか足とかを突っ込むのもよろしくないかと思って深くは聞かなかったのだ。
…でもその頃から漠然とした憧れはあった。
「すろうと同じ時代に学生だったらなー」
「今からでいいから入学したいわー」
そんなことを軽い口調で言っていたのだが、同じ部屋に住むようになり、家族になってからは彼が触れてきたもの、見てきたもの、今考えているもの、これから先のことまで興味津々だ。
すっかり彼の学んでいる分野や、それ以外の昔のことまで。
鶏が先か卵が先か。
魅了されていた。のめり込んだ。

今は大学生にとって短かすぎる冬季休みだ。
ヴォル自身は大学生活は遥か昔のことだが、当時は短い休みに大量のタスクと後期の中間試験の内容を頭に叩き込んで課題に追われていた。

「この授業の課題の締めはいつ?」
「どの程度の進捗が目安?」
「大体どんなペースと見通しで進める予定?」
「他の生徒はどんな様子だった?教授は?」
2時間電車に揺られて帰宅したすろうに質問の嵐を投げつけてはよく苦笑される。
「お前は真面目過ぎだ」と。
在校生の誰よりも貪欲で、教授の誰よりも厳しいと。

「ヴォルの本気がこわいよ」

談笑している時も、真面目な時も。
よく言われるようになった。
そういえば学園祭の帰りにすろうは本気で落ち込んでいたっけ。
「ヴォルは本当に楽しそうに色んなブースをまわって色んな人と凄く楽しそうに話してた。僕はあの人たちの中に全然並ぶことができてない。」
悔しそうでとても寂しそうな、帰りの駅のホームでの表情が焼き付いている。

あのとき悔しくて寂しくて、羨ましかったのは僕のほうだと、いつか未来の彼は気付くのだろうか。
殻を破りきれない成鳥のようでいて、壊せそうで壊せない冷たい檻の中で何度も暴れては諦めそうになる狼のような。
見えるのに、届かない。
触れられそうなのに、触れられない。

それがとにかく悔しくて、それから更に足掻くようになった。
悪足掻きは百も承知だ。

…あれから1ヶ月程度しか経っていないのか。
随分と夜は冷え込むようになった。
日が落ちるのが早くなった。

1年越しに年賀状の図とも模様ともイラストともつかないものをアナログペーパーに描いて、スキャナで取り込んでタブレットでデジタルに起こしながら微調整と改変を加えて整えていく。
今年が寅なら来年は卯だ。
身近でありきたりなものよりも存在しそうで存在しないもののほうがなんとなく、好きだ。
『ジャッカロープ』という未確認生物にテーマを絞って、なんとなくの感覚だけを頼りにして終わりも正解もない着地点をそれとなく探す。
これが自分に一番合ったやりかた。

残念ながら僕はイラストレーターでもなければデザイナーでもない。
けれど、誰かに向けてのものにメッセージ性やイメージは込めたい。
僕だけがわかる、僕なりの自分に起こった1年間のイメージを白と黒の線で表現してみる。

「お前、絵描けるじゃねーか」
「もうお前がデザイナーでいいわ」
「は?この短時間でなにこれ??」
「ふざけんな!」

すろうにしては珍しい口調でネタとは思えないツッコミを喰らって、階段を踏み外しかけたときのような心臓に悪い『あの感じ』を時々味わう。
半ば逆ギレみたいな勢いで本気で悔しそうに言い切るものだから、全体的な印象とか配置のアドバイスをもらおうと思って見せたのにと、なんだかこちらが反応に困ってしまう。

ジャッカロープは人間不信というわけでもないし、肉食獣といったイメージでもない。
元ネタだと言われているのはウサギの剥製に鹿の角を付けたものだ。
けれど1年間の自己投影をしていくうちに次第に『その身体に似合わないほどの角を持ち、若い同種を狩りその角を持ち去る』という、バリバリに強そうでカッコ良さそうなオリジナルになっていった。
馴れ合いは好まない。
目が合えばきっとこちらが怯んでしまうような。

とはいえ等身はウサギそのまま…といっても野生種っぽい感じで、…いや、一応ウサギに見えたらいいなぁ…どうなんだろう…
自問自答での仕上げには限界がある。
偏った答えは出したくない。
そうなれば感想やアドバイスをもらうのが妥当。
…で、それを見せる相手は1人くらいしかいないわけで。
帰ってきたリアクションはハッと息を呑む音と「かっこよ。」というボソッとした低く小さな声だった。

いや、すろうにレビュー的なものを期待した僕も悪かった気もするけど。
頭の中で「少なくとも可愛らしくて弱々しい雰囲気には見えなかったということらしい」と翻訳をかまして、方向性をなんとなく固めて。
…なんとなくが多すぎて、やっぱり本物のすごい人たちと意見交換したり、見てもらってダメなところを指摘してもらえるすろうが羨ましかったり。

それでも、なんとなくでも。
手に入らないものは手に入らないのだ。
だから自分の感覚で進む。
そんなことを考えながら目のパーツを書き込む。
未来を見据えた小さな目。

…まぁいいか。
少なくとも、目の前の1人の心を動かせたのなら。
1人の心にでも残ったのなら。
きっと上出来だ。

遠い昔、時々あったのだ。
『自分が作った何かを否定することは、それに対して評価をくれた人の感性を否定することになる』
だからその反応が良くも悪くも、ストレートに受け入れなければと思うことが。
正直に言うと、僕を取り巻く存在は僕のことを過大評価しすぎだと思うが、他の人から言わせてみれば僕は自分を過小評価しているのだという。
結局のところ、やはり着地点や妥協点は自分で決めるものなのだろう。

すろうは凄い。
僕とは真逆でとにかく作業が早く、ツールの扱いも無意識で上手い。
『なんとなく』でやっていることに根拠が概ね揃っている。
そしてなによりも。
「いいものができたー!」
と、自分の作品に対して言い切れるところだ。

『今の自分の最大限』というポリシー的なものは同じなのに、作り終えた後も煮え切らない僕とはそこが決定的に違う。
アイディアや構想、発想が浮かばなくて世界が終わるのかってくらいに絶望的な雰囲気と打って変わって、作り終えると本当に清々しいまでに嬉しそうなのだ。
自由に制作している時は特に、心の底から楽しそうだ。
あっという間に『これだ』というイメージが浮かんだらしく、あっさり年賀状のデザイン1枚を仕上げて充足感に満たされているすろうに「自分の作ったものに納得と満足できるのはどうしてなのか」と聞いてみた。

「たしかにもっと良くできるところとか、後になったら出てくるのかもしれない。すごい人から見たら色々思うとこあるかもだけど、自分に今できる最高のもの作ったんだから、それを否定したら作品が可哀想じゃん」

即答だった。
この子はほんとうに。
僕が予想できないことを考えている。
そして自分の作品を愛している。

____いつか僕もそうなる時が来るのだろうか。

数時間前には、ずっと煮詰まっていた冬季の課題のデザインの一部も「これだ!」と意気投合して原案も決まった。
ヴォルは頭の中にある、ありったけのデータと分析と候補と持ち前の観察眼をすろうに投げ付け、すろうの感性と個性を殺さないように踏み込むラインを見極めつつ、すろうは受け取った大量の情報を元に整理しつつ自分の持ち味を全面に出して。
すろうが「これだ!」と叫んだ手元にあった課題の原案イメージは僕たちの考えていたそのものだった。
感性と発想がシンクロした瞬間は目と目でハイタッチしたような手応えがあった。

これが完成したら、どんなふうになるのだろう。
自分のタスクを片付けながらも、部外者のはずの僕はワクワクしている。
今回の課題はデジタルデータ止まりではなく、現物のサンプルまで提出というぶっ飛んだ内容のものだった。
それも『商品企画』から始めるというもの。
4学期制の大学での授業なので、実質後期の折り返し地点の時期からこのテーマはスタートしている。
1年のうちたった4分の1で決まったルールとテーマの中で全てをデザインする。

こんな無茶振りとしか言えないような内容。
…だからこそ。
数週間後にどんなことになってしまうのか、楽しみなのだ。

数週間後か。
その頃は2023年になっているわけで。
資料探しとリサーチに外に出た時に帰ろうとしたら広場でイルミネーションの点灯式に一緒に鉢合わせたあの日。
勧めた地元の図書館帰りに可愛らしいケーキを「サプライズ!今日クリスマスイブだよ。」って買ってきたあの日。
互いにタスクに追われながらも、1年前を思い出しながら過ごした特別な25日。

言いたいことをお互い言えるようになったなと感じた、デザインの突破口が見えかけ始めた26日。

2022年もあと僅か。

チラと時計を見れば明け方の5時。
まだ外は暗いけれど。
アイツがバイトから帰ってくるまで起きていようか、それとも少し横になって身体だけでも休めようか。
「眠れなくても身体を横にして目を閉じるだけで随分変わるよー!」
そんなことを言っていた1年前がちょっぴり懐かしいような。

こんなことを考えながら、帰りを待つのも悪くない。
きっと来年も想像していなかった景色が待っているんだろう。

1年前から変わったこと。
他の誰かがいると全く眠れないくらい、常に神経を張って生きていた。
誰かの横で寝ることが出来なかった。
何かの気配が存在するだけで気を張ってしまっていた。
少しでも物音がすると嫌でも意識が浮上してしまった。
でも。
今はアイツが横にいると安心して眠れるようになった。
「ヴォルがそばにいると安心するんだ」
そんなふうに言われていたけど。

…期間限定の昼夜逆転の逆転。
今年は期間限定の夜型生活。

すろうを安心させたくて、「腕、くっつきたいならくっついていいよ」って言った日から。
1枚の布団の腕で、僕の左腕をふんわり抱きしめながら安心して寝息を立て始める様子を見ていたら。
その様子に安心して僕もいつの間にか眠るようになって。
「ヴォル、昨日も安心して寝息立ててたよ、嬉しい」

いつの間にか逆転してしまった。

…デジタルペンの充電、そろそろ終わったかな。

「ただいま」
「おかえり、おつかれー!」
「めっちゃ寒いよね」
「やばいよなー、この辺めっちゃ冷え込むからなぁ」

…1年後、僕は。
彼は。
どんなふうにお互いの帰りを待っているんだろう。

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