闇の中で、静かな呼吸音が聞こえる。

いつの間にか水も食事も摂れなくなってしまっまオンボロの身体。
そう長くはないことを知っていた。

舞い込んだ仕事を真剣に見つめる横顔へ、ふと投げかける。
「僕がこの家に二度と戻って来られないとして、病院しか居場所がなくなったとして。治らないなにかがあったとして。それでも、最後まで一緒にいたいと思うの?」

彼は一瞬モニターから目を離して、意外にもあっさりと。
「当たり前じゃん。家だけじゃない、ずっと一緒にいたいのは変わらないぞ?」
1年前に同じことを訊いていたら「何かあったの?」と動揺しながら泣きついてきただろうに。
…すっかり大人になったな。

ヴォルはただ心配だった。
自分を看取るのが彼だったとして。
苦しむ自分を見て、彼に苦しい思いをさせてしまうことが。
『最期の瞬間』『最期の1日』が、彼のトラウマになってしまうのではないかと。

「大丈夫だよ」
後からそう笑ってやれる自分を、この身体を手放すことが。悲しむ彼を慰めてやれないことが。
少しだけ怖くなった。

もしそれが逆の立場だったとしたら……
間違いなく、最後まで傍にいる。
彼が灰になるまで。彼が灰になったとしても。
____この気持ちが変わることはない。

背負うのは簡単だが、背負わせるのはどうも苦手だ。


「おやすみ」を言った彼の呼吸が寝息に変わる。
彼が吐いた空気を、隣で静かに吸い込む。
僕はそんな時間が好きだった。

_いつか、また手料理を振る舞ってほしい。
そのときは笑って、一緒に沢山食べたい。
_いつか、また山に登りたい。
そのときは笑って、色んな写真を撮ろう。

___いつか、また巡り会えたなら。
そのときは、あったかくて穏やかな日常を送りたい。

「きみには笑っていてほしいんだ」

(ぼくも、きみにはしあわせでいてほしい)


息を重ねられる時間は、あとどれくらいだろうか。
そんなことを考えるのも惜しくなって、暗闇の中の体温へ、僕は意識を投げた。

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