見出し画像

「国家はなぜ衰退するのか」 第1章

第1章 こんなに近いのに、こんなに違う

<この章のお題>

アリゾナ州ノガレス(米国)と、ソノラ州ノガレス(メキシコ)は、人も、文化も、地勢も同じだ。それなのに、一方が裕福でもう一方が貧しいのはなぜだろうか。

<第1章の副題、まとめ、印象に残った箇所>

リオ・グランデの経済学

地理は違うのか、No。住民・文化が違うのか、No。知識が違うのか、No。「銃、病原菌、鉄」で著者のジャレド・ダイアモンド氏は、地理の違いを強調していたが、そうではない。

違いは政治。メキシコは2000年に政治改革が行われて民主化したばかり。貧富を分けるものは国境。分岐点は植民地時代の初期にさかのぼる。


ブエノスアイレスの建設:

1534年のスペイン人によるブレのスアイレスへの入植開始。目当ては銀。しかしこの地は放棄され、パラグアイへ。現地のグアラニー族と混血を進めた。


カハマルカから・・・:

1492年以降、スペインの植民地化戦略は極めて有効。アステカ皇帝モクテスマを殺害、1521年までにアステカ征服完了。目的は金、手順は現地の首長を殺害し、現地人を鉱夫として奴隷化。聖職者が記録を残した。

次はピサロでインカ皇帝アタワルパを殺害。金銀財宝を入手。ミタという労働制度下、エリートは労働者の飢餓救済を見返りとして労働力も入手。


・・・ジェームズタウンへ:

1500年代末、北米に到着したイギリス人は、この土地しか侵攻できなかった。食料も金銀資源もないので、スペインの植民化の手法は使えない。代わりに入植者自身が働くインセンティブを持った。

ヴァージニア会社が入植者を隷属化しようとしたが、先住民に食料提供させることもできず。「働かざる者食うべからず」。入植者は隷属から広い国土へ「逃げる」選択肢もある。結果、現地に厳格な階級社会を作ることは困難だった。


二つの憲法の話:

①1812年スペインで立憲君主制導入(議会、憲法、国民主権)検討。南米の白人エリート層は団結して反対、1821年メキシコ独立後、1827-1867年の間52人の大統領が登場し、政情不安が続く。政情不安→財産権は不確実。エリート層は植民地の経済制度維持を優先。


②アメリカ合衆国は奴隷差別を続けて議会組成、1861年南北戦争後、政情安定し、ビジネスチャンスのある社会へ。


いいアイデアを持つこと、会社を設立すること、融資を受けること:

イングランドの産業革命 →綿布の生産、蒸気エンジンなど技術的躍進とイノベーションが発生。合衆国では、起業家、実業家、発明家、特許などが経済を後押し。

エディソンはGEの創始者。1800年代の合衆国の特許所有者の8割は地主、貴族ではない一般人。無学者が会社を設立して特許を取得→ビジネスチャンスを持ち得た。

この頃合衆国では金融業も発達(1818年に338の銀行)。合衆国の発明家は運が良い。他方、メキシコでは無秩序時代を過ごし、1910年の銀行数は42、かつ独占的で、利権的。


経路依存的な変化:

メキシコは天然資源豊富→輸出で潤う土地所有者→エリートのみが富む社会に。軍事政権、独裁政権、革命、財産没収など政情不安が近隣に波及。政情不安の結果は、民衆に対する弾圧と虐殺。


稼ぎは10億か20億か:

合衆国のビル・ゲイツはイノベーションで財をなし、メキシコのカルロス・スリムは政治的なコネでテルメックスを買収して富豪になった。


世界的不平等の理論へ向けて:

世界は大きなノガレス同様、格差が存在する。その理由は制度の違い。また、各制度が生み出す人々のインセンティブが異なる。政治的プロセスが経済制度を決め、経済制度が人々に稼得やイノベーションのインセンティブを与える。

いいなと思ったら応援しよう!