「女の子はどう生きるか」第1章 その1
上野千鶴子著(岩波ジュニア新書)、要旨
前書き:あなたたちはどう生きるか
吉野源三郎著のベストセラー「君たちはどう生きるか」。しかし、その「君たち」は男の子のみを指している。子供にやりたいことをやらせて長所を伸ばしなさいと語る、ジャン=ジャック・ルソーの有名な教育書「エミール」の最後には「以上述べてきたことは女の子には当てはまらない。」とある。
君たち≠女の子。それならば、女の子はどうやって生きればいいのか。
ノーベル平和賞を受賞したマララさんのお父さんは勇気のある娘を育てた秘訣を「娘の翼を折らないようにしただけ」だと語る。もともと男の子も女の子も同じように持つ、学びたい、成長したいという意欲、翼は女の子という理由だけで簡単にへし折られてきた。その子の羽ばたく力を大切にしてあげることが女の子の育て方に重要だ。
(本文は、Q&A形式で、女性の高校生の質問に、上野氏が回答するスタイルで文章が進む。)
Q1 生徒会長はなぜ男子だけ?
Q.共学なのに、生徒会長は男子しかなれない。理由を聞いても伝統だといわれる。女子は補佐役に甘んじるべきなのか?
A.女の子に生徒会長になれない理由はない。が、実際には生徒会だけではなく、先生も中心は男性、補佐役が女性の構図が多い。例えば、2019年度時点で、小学校の教員に占める女性の割合は62%だが、教頭以上の地位についている者の75%超は男性だ。また、データがある滋賀県大津市の例では、生徒会会長に占める女子の割合は、小学校では50%なのに、中学では11%、高校では40%程度。(高校での女子生徒会長の割合が中学校より上がるのは、女子高校の存在のためかと推測される。)
学校は社会の縮図であり、大人の言う「伝統」は誰もが当たり前だと思っている。しかし、「伝統」には根拠がない。根拠のない習慣、「伝統」を破って誰かが前例を作ろう。女子が生徒会長になってみることで、二人目はやりやすくなるだろう。
Q2 男らしくしてなきゃダメですか?
Q.外遊びよりも読書などが好きな弟は「男らしくない」らしい。「男らしさ」とは?
A.そのような「男らしさ」、「女らしさ」でくくられるステレオタイプが先生に好かれるのは、子供を型にはめて同様に扱うことのほうが子供のコントロールに有用だからだ。その「らしさ」に当てはまらないものは「個性」として大切に扱うべきで、その個性をつぶす教育を看過してはいけない。
Q3 色にも女の子色、男の子色ってあるの?
Q.ランドセルの色が青・黒色でショートカットの妹は男の子みたいで「ヘン」?
A.色や髪型の性別は、どこで刷り込まれるのだろうか。自我の芽生えないうちから、「僕はピンクのランドセルがいい」と言えば大人が「やめておけば」などという。そのように、周囲の大人の反応によって形作られている性別色はまさに「ステレオタイプ」である。
子供の世界は大人の社会の縮図だ。大人が作り出した「ステレオタイプ」からはみ出す子供を排除するのは正しいだろうか。女子がスカート、男子がズボンを履かなくてはならない制服もおかしい。こんなことを続ける日本は、世界から取り残される。
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※ここまで読んで、note筆者が思ったこと:
上記の「大人」を「男性」に読み替えてみる。ついでに、「社会」も「男性社会」に読み替えてみる。すると、世の中の、より的確な社会の構図が見えてくる。
そもそも、戸籍制度、夫婦同姓など、社会や一部の議員が「伝統」と呼ぶ制度が作られたのは明治政府樹立時。たった150年ほど前に作られた習慣でしかない。その150年前の時代に、政治・経済・行政・教育制度を策定する意思決定の場にいたのは、過半数どころかほぼ100%が男性だった。すなわち、法の当事者の半分を占めるにもかかわらず、日本人女性の意見は全く反映されていなかった。
そのままの制度や法律が受け継がれ、今に至っている。150年前の意思決定者群が履いた「ガラスの下駄」は、今もしっかり健在ということだ。