見出し画像

📙福沢諭吉.1888.「日本男子論」(1)=原文段落1

福沢諭吉「日本男子論」(ちびちびと旧仮名遣いから意訳翻訳口語訳)

【標準日本語、敗戦後版】


  1886年(明治18)年夏、我々『時事新報』誌では「日本婦人論」と題する社説を掲載した。趣旨は「女性の身分は男性と対等であるべきで、家庭は夫婦共に守るべきだ」との考えを、新しい日本社会に伝えることだった。日本男性の生活は、快楽一辺倒であってはならないし、慢心してはならないとも述べた。
  その後、1887年(明治19年)5月の「時事新報」では、「男女交際論」と題する記事の中で、「両性は肉体関係を持つだけでない。男女間でも信頼する友人同士として自由に交際すべきだ」とも伝えた。
  私は常に、江戸時代から今日に続く日本女性の置かれた不安定な立場を憐れみ、少しでも女性の地位向上の一助になることを願う気持ちを持って筆を執ってきた。江戸時代までの男女の立場には、高低の差がありすぎる。全てを公平な状態にすることは難しいだろうが、多少なりとも是正したい。低い立場を少しでも高くなるように助けることがあっても、一方だけを厳しく咎めて高い男性の立場を低いものにするつもりは毛頭ない。高い立場のものがさらなる高みを目指すにおいては、各自の努力に任せよう。
  ただ、このエッセイでは、日本男性の高すぎる頭を低くすることで、新時代に男女が自然と中間のバランスを目指すための考えを伝えるべく、題名を「日本男子論」とした。

to be continued … ↓
📙福沢諭吉.1888.日本男子論(2)|根拠ある、事実だけを粛々と (note.com)

【上記のDeepL 訳 & バイリンガル筆者校正版】


Japanese Men's Theory, Yukichi Fukuzawa
  In the summer of 1886 (Meiji 18), we published an editorial in Jiji Shimpo titled “Nihon Fujinron” (Japan Women's Theory). The purpose was to convey to the new Japanese society the idea that women's status should be equal to that of men and that the home should be protected by both husband and wife. He also stated that the lives of Japanese men should not be pleasure-driven and that they should not be proud.
  Later, in an article titled “The Theory of Male-Female Relationships” in the Jiji Shimpo in May 1887 (Meiji 19), he wrote, “The two sexes are not only to have physical relations. It also reported that “both sexes should freely associate with each other as trusted friends.
  I have always written with a sense of pity for the precarious position of Japanese women from the Edo period to the present, and with the hope that my writing will help improve the status of women, even if only a little. There are too many highs and lows in the position of men and women up to the Edo period. It would be difficult to make everything fair, but I would like to rectify this situation in some small way. Even though we may help the low position to become a little higher, we have no intention of making the high male position lower by harshly condemning only one of them. Rather, if those in higher positions wish to reach higher, we will leave it to their own efforts.
  However, I have titled this essay “Japanese Men's Essay” in order to convey my thoughts on how to lower the too-high heads of Japanese men, so that in the new era, men and women will naturally aim for a balance in the middle.

【上記の原文. 旧仮名遣い】


明治十八年夏の頃、『時事新報』に「日本婦人論」と題して、婦人の身は男子と同等たるべし、夫婦家いえに居て、男子のみ独り快楽を専もっぱらにし独り威張るべきにあらず云々うんぬんの旨を記しるして、数日の社説に掲げ、また十九年五月の『時事新報』「男女交際論」には、男女両性の間は肉交のみにあらず、別に情交の大切なるものあれば、両性の交際自由自在なるべき道理を陳のべたるに、世上に反対論も少なくして鄙見ひけんの行われたるは、記者の喜ぶ所なれども、右の「婦人論」なり、また「交際論」なり、いずれも婦人の方を本もとにして論を立てたるものにして、今の婦人の有様を憐あわれみ、何とかして少しにてもその地位の高まるようにと思う一片の婆心ばしんより筆を下くだしたるが故に、その筆法は常に婦人の気を引き立つるの勢いを催して、男子の方に筆の鋒ほこさきの向かわざりしは些ちと不都合にして、これを譬たとえば、ここに高きものと低きものと二様ありて、いずれも程好ほどよき中ちゅうを得ざるゆえ、これを矯ため直なおさんとして、ひたすらその低きものを助け、いかようにもしてこれを高くせんとて、ただ一方に苦心するのみにして、他の一方の高きに過ぐるものを低くせんとするの手段に力を尽さざりしものの如し。物の低きに過ぐるは固もとより宜よろしからずといえども、これを高くして高きに過ぐるに至るが如きは、むしろ初めのままに捨て置くに若しかず。故に他の一方について高きものを低くせんとするの工風くふうは随分難かたき事なれども、これを行おこのうて失策なかるべきが故に、この一編の文においては、かの男子の高き頭ずを取って押さえて低くし、自然に男女両性の釣合をして程好ほどよき中ちゅうを得せしめんとの腹案を以て筆を立て、「日本男子論」と題したるものなり。

to be continued … ↓
📙福沢諭吉.1888.日本男子論(2)|根拠ある、事実だけを粛々と (note.com)


📕Reference & for your further reading…..📕

Naoko Nishizawa. Nihonfujin-ron. Keio University Press, 2003.
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766408867/

https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47293_34170.html . Accessed on July 1, 2024.

Yukichi Fukuzawa. Fukuzawa Yukichi Kazoku-ronshu. Tokyo. Iwanami Shoten Publishers. 1999.

Jiji-shinpo. Tokyo. Jiji-shinpo. January 13-January 24, 1888. 

Yukichi Fukuzawa. Fukuzawayukichi-senshu Number 9. Tokyo. Iwanami Shoten Publishers. 1981.

Translated using Deepl.com, and edited by this "note" writer.
Cover picture created by yamamotoshinya, a "note" creator.

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?