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「国家はなぜ衰退するのか」第14章

旧弊を打破する


<この章のお題>

いくつかの国家は、いかにして制度を変えることによってみずからの経済的軌道を変更したか。


<この章の副題、まとめ、気になった箇所>

アフリカの三人の首長:

 ボツワナには、現地を支配する私企業の横暴から、先住民を守るよう努力した者がいた。それは、1895年に、イギリス女王とチェンバレン植民相に直接嘆願した首長たちだ。

  旧来、ツワナ人の首長は家柄ではなく能力で選ばれてきた。その後のBDP(ボツワナ民主党)党首カーマは、ダイアモンドが国内で発見された時、鉱業権を部族ではなく国家に付与、収益を教育やインフラ整備に充当した。国全体を活性化させる策を打てたことで、豊かなアフリカ国になった。幸運でもあった。


南部の搾取の終焉:

 1955年、ローザ・パークスがアラバマ州モントゴメリー市で逮捕された。白人用座席に座っていたためだった。しかし、彼女はただものではなく、NAACP(全米黒人地位向上協会)モントゴメリー支部の書記だった。

 その後、バスボイコット運動、など組織だった動きを取り、連邦最高裁判所と連邦政府が合衆国南部の収奪的制度の改革に介入を始めることになった。南部のエリートも連邦政府の方針に逆らわなかった。その理由は、黒人の北部への流出と同時に、綿花生産の機械化などで闘争の動機が低下したためだ。すなわち、すでに黒人労働者を収奪の対象とする必要性が低下していたと言える。その後、1990年までには雇用機会、投票権、教育機会、年収など、人種間の差がほぼなくなった。


中国の再生:

 1949年〜1990年代の中国は、大躍進、文化大革命を経て工業化。2000万〜4000万人の人的被害を生む、収奪的制度が続いた。岐路は、1976年の毛沢東の死、その後権力者となった華国鋒が鄧小平に敗北。鄧小平の元、1990年代には企業の私有化が認められ、工業国になった。

 収奪的制度が包括的制度に取って代わられることはあるので、歴史は宿命ではない。とはいえ、歴史はいつも成り行きまかせ。

 

<著者のTED スピーチへのリンク>


<James Robinson教授と、Daron Acemoglu教授のHP>

https://economics.mit.edu/faculty/acemoglu






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