精霊流し
昔、長崎に精霊流しって儀式があってね。そう母から聞いたのは、もう30年くらい前、私がまだ子どもだったから、まだ人体から産まれた人の方が多かった頃のことだと思う。ここ30年でこの世界はずいぶん大きく変わってしまった。東欧の戦争が世界中に拡大して、核兵器がバンバン使われた。たくさん人が死にすぎたことに対する対策として、戦後にできた世界政府が打ち出したのが、人工子宮と人工授精による出産の仕組みだった。過去の幾度とない戦争の経験から恐ろしく速いスピードで復旧した人類は、人口を取り戻すべく使えるものはなんでも使った。この人工ベビーを作る仕組みも、戦時中に某国で極秘裏に開発されていた技術が元となっていた。この仕組みによって私たちの世代くらいから、人工的に産まれた人々と、セックスによって生まれた人々が混在するようになっていった。それでも止まらない人口減少の理由には、安楽死の世界的な合法化があった。止まない戦争の恐怖から、世界中で自殺者が急増して、それと同時に安楽死を求める動きが世界中で大きなうねりになって、だからそれに対応せざるを得なくなった各国は、安楽死用の錠剤を一般開放するに至った。昔々の日本軍が自刃用に短刀を懐に忍ばせていたのから着想を得た独裁者が開発を命じてできたものだという。錠剤はその名前をカミカゼと言った。
戦後カミカゼを求める人々の列に呼応するように、世界政府は人口の増産に躍起になった。そして、人口減少を食い止めるべく、貨幣制度の縮小と世界的なベーシックインカムの導入、そして未来永劫戦争を起こさないように、軍隊の解散に踏み切った。人々は物々交換や配給によって物資を手に入れ、店先に並ぶものは働かずともベーシックインカムによって手に入った通貨で買うことができるようになった。また、それぞれが持つ貨幣の移動は重罪とされ、すべての人が平等に財産を取得し、余った財産はすべて世界政府の管理下に置かれることとなった。「死んでも、死ななくてもいい。産んでも、産まなくてもいい。」がスローガンとして街に躍り、人々は世界平和を手に入れた。
亡くなった母の日記帳を整理しながら、精霊流しの写真が貼り付けてあるページを見つけた。祖父の初盆の時に、精霊船と呼ばれる大きな木造の舟形を曳きながら爆竹を撒いて通りを歩いている母がいる。人が死ぬことがあまりにも一般的になった現在では、相対的に死者を弔う儀式の価値も薄れていき、今ではあまり行われなくなった行事だ。長崎の一部では、まだ残っているらしい。母の死は自然な死で、あまりにも急だったので、多少狼狽えはしたがなんだか納得がいった。普通に生まれて、普通に働いて、普通にセックスをして、普通に私を産んで、普通に育てて、普通に死んだ。長崎に生まれた母は、あまり地元の話をしようとはしなかったので、この精霊流しの話は珍しいこととしてよく覚えていた。最近彼氏とセックスしてないな、と思った。
ミニマリストだった母の遺品は簡単に整理が終わり、なんとなくこの日記帳はだれにもみせずに取っておこうと思った。少し読み進めてみると、「あたしは生きたいし、産みたい」と書かれたページに行き着いた。母が私を産んだのはあの戦争の後すぐだったから、今よりももっと死が身近にあった時代だろうし、多分人工授精による出産が叫ばれ始めた頃だった。セックスをして自分の子宮から産むタイプのお産は時代遅れだと言われていた頃だと教科書で習った。そうか、それでも母は産みたかったんだなとなんだか、彼女のことが少しわかった気がした。そうして生まれてきた私は、死んでもいいし産んでも産まなくてもいいと思っている。とか言っている間にもう、普通のお産ができるタイムリミットはだいぶ迫っているのだけれど。
母の葬式後のドタバタで、今月のベーシックインカムの支給日まで、1日一食食べられるか食べられないかの生活を強いられそうなので、彼氏に連絡してしばらく一緒に住むことにした。カレンダーを見れば3月で、年度末だし彼も彼で色々忙しいかと思ったら暇そうだった。
彼氏の家で、母のことや、お産のこと、生死のこと。いろいろと話しながら濃くて強いチューハイを飲み、そのまま傾れ込むようにセックスした。久しぶりのそれはやっぱり気持ちよかったけれど、なんだか切実さに欠けるような気がした。私は何がしたくて、この男と寝たのだろう。戦後の混乱の最中、それでも産みたいと思ってセックスした母から呆れられているような気がして、急に罪悪感が増してきた。隣で寝ている男を置いて家を出て、ドラッグストアに寄って近所の漫画喫茶で鬼滅の刃を一気読みして、炭治郎たちはこのあとに前の戦争が控えてたんだよな、と思った。世界で初めて核兵器が使われた戦争で多大な犠牲を負った長崎の街は、今ではすっかり発展して変わってしまったんだよと、これは確か祖父から聞いた。漫喫に持ってきた母の日記には長崎のことがよく書かれていて、けれど地元の親戚と喧嘩して東京にやってきた母なりに、覚悟のようなものがあったからあまり長崎のことを言わなかったんだと思う。精霊流しは8月か。消防法の規定で今ではずいぶん厳しくなってしまった精霊流しだけど、個人でちょっとやる分には問題ないらしいから、母に長崎の海でも見せてあげようかなと思った。そうしてさっき買ったカミカゼをテーブルに置いて漫喫を出たら、外は肌寒くて、申し訳程度の朝がこちらを見ていた。