グータラ人間が勉強することを決めた理由
皆さんは普段勉強しますか?
誰しも思った事があると思います。何のために勉強するんだろう、と。
自分の過去の話になるのですが、小学校・中学校の頃は勉強する事が大好きで勉強が趣味のような感覚でした。その頃は通信教材を利用していて友達と遊ぶことや、おやつを食べることよりも添削問題を解くことを優先にしていました。
もちろんそんな生活をしていると定期試験の学年順位がトップクラスにならないはずがありません。
ただ、高校進学を期に生活が一転、勉強への熱が冷め、ケータイゲームで遊び呆ける日々が続き、定期試験は常に最下位。高校2年になって周りの生徒が大学進学の話題を出すようになっても、危機感など持つことは全くありませんでした。
怠惰なマインドを持ったまま、何とか大学に進学。大学1年まで高校生の時と同じように勉強しないまま過ごしました。
大学2年になるところで転機が起こりました。再び勉強することに火がついたのです。それがカナダへの留学経験でした。留学に行くまで自分は海外に行った事がなく、何もかもが初めての経験で自分の身の回りのもの全てを吸収していきました。
そこでまた、気づいたんです。
「あれ・・・吸収すんの楽しい・・・」
特に言語学習(英語)は自分が勉強すればするほど人々とシェアできる話題が大きく広がっていく上に、吸収できる知識も共に多くなるのでリターンは非常に大きいものでした。
帰国してからも英語の勉強をやめるどころか、中国語にも手を出す始末。勉強する楽しさを全身で再び感じる事ができるように。
自分にとって何のために勉強するのかというとただ単に楽しいからだと思います。しかしそれだけでなく、人生を豊かにするものだとも感じるからです。
高校生の頃、確かに自分は一切勉強しませんでした。今高校生活を振り返ると不思議なことに何も思い出せないんです。貴重な3年間を”何もしない”という選択が抹消したのです。逆に必死になって勉強した中学生の頃の記憶の方が今でも強く残っています。
別に勉強じゃなくてもいいと思います。何か必死になって努力できるものがあれば。
努力して結果は出せなくても、努力が無駄なんてことはなく、努力する行為自体が人生を豊かにするものなのかなと。
死ぬ前や過去を振り返って見る時、人生何も残らなかったら悲しいです。振り返って「自分は密度が高い人生を送る事ができたな」と人生を終えるのが夢です。
勉強≠辛いもの、努力≠辛いもの、勉強・努力=人生を豊かにするもの
考え方をちょっと変えるだけで毎日が楽しくなりますね。