サクランボ
私たちは、ロマネ・コンティに始まり、モンラッシェにとり憑かれての、紛れもないブルゴーニュ派(だった)。もっとも、ブルゴーニュ派になる以前から、私はボルドー嫌いだった。90年代初頭、日本のM社のコマーシャル撮影の仕事でボルドーを訪れた時に始まったこと。とにかく嫌いなんだ、あの体質。ネクタイ族にプリムール、パーカー好みのフレンチ・コーラ(ボルドーの赤)等々、みんな嫌。だから、飲まない。
でも、例外がある。シャトー ル ピュイ。サン・テミリオンの裏(表?)、コート ドゥ フランで1610年から続く老舗だ。後に「神の雫」として世に名を馳せる前から、私たちは出入りしていた。例の如く、Triple Aの仕事で訪れたのが最初だった。その時に、ジャン・ピエール アモローさんが語ってくれた、彼のお祖父さんの話を良く覚えている。
「以前は村まで馬車で行ったもんだ。ある日、祖父のお供で行った時のことだ。途中道端に蹄鉄が落ちていてね、それを見つけた祖父が、私に拾って来いと言う。でも幼かった私は嫌がった。そしたら祖父は自分で拾って村へ持って行き、売って、そのお金でサクランボを買った。そして私の手の上にサクランボをおきながら、言ったんだよ。お前は蹄鉄を拒んだけど、サクランボは拒まないだろう、って。」
一見無意味に見えるものでも、見方を変えれば価値が出る。そんな知恵の伝授か。
「ここ(サン・シバールのシャトー)にいると、毎日がバカンスのようだ。みんな、疲れをとるためにバカンスに出ると言うけれど、実際には旅先で色々やり過ぎて、かえって疲れて家に戻ってくる。それじゃ、主客転倒だろう。バカンスに出なくともうちには色々と楽しいことがあるし、それだけじゃなく、皆がエネルギーをもらいにやってくるんだよ。ここに来ると気持ちがいいって、元気になるって。ほら、あそこにストーンサークルがあるだろう。ここは昔からエネルギーの高い場所で、エコシステムも充実しているんだ。」
後にアモローさんに見込まれて、私たちはシャトー ル ピュイの仕事を引き受けることになった。写真のモンタージュで作るビデオ制作。物の見方を変えてみた(私は動画嫌い)瞬間だった。そして同時に、銀盤からデジタルへ移行した。銀盤に拘りたければ、そうすりゃいいさ。私はどっちでもいい。写っていればそれで恩の字。どっちにせよ、アモローさんの写真にはオーラが写っているから。