Le Montrachet
写真展を終え、癌から生還、さて次に何をしようか。あとはモンラッシェを追い続けた三年を形に残すこと、Le Montrachetの刊行だった。でも実際に出版されたのは2002年5月。更に二年の月日を要したことになる。そして現実は、共著のソムリエが報酬を主張するもろくな仕事をせず、本は完璧には程遠かった。おまけに、私たちは一銭の印税も手にしていない。まぁ、いいさ。色々と良い思いはさせてもらったから。おまけで、誰にも負けずにウンチクを言えるくらいにはなれた。
2002年10月、ニューヨークのレストラン モンラッシェで、モンラッシェの試飲会が催された。私たちは「Le Montrachet」の著者として招待される。神様からのご褒美か。なにしろ一人当たり1500ドル(当時18~19万円)と、会費がべらぼうに高い食事付きの慈善試飲会、おまけに超満席だ。
会が始まると、ワインが出される度に会場に鐘が鳴り響き、誰かが前にしゃしゃり出てウンチクを述べる。これが全ての銘柄で繰り返され、ゆっくり味わう雰囲気など微塵もない。結局、食事が終るまでに35銘柄が出され、その全てがモンラッシェだった。
以前、ドミニック ラフォンが言っていた。「モンラッシェが全ての人のためのワインでないことは明白だ。また単に金持ちだからといって容易に飲むものでもない。本来、モンラッシェを飲むこと自体が本当に特別なこと。だから、モンラッシェのボトルを手に入れる機会に恵まれ、何時の日かそれを開けられる人たちは、それが本当に名誉ある特別なことだと、しっかり分かっていてもらいたい」と。
彼の思いもこの人たちには馬の耳に念仏か。ああ勿体ない。無駄、無駄。9.11があり、貿易センタービルが消えた。そして一年後、35X2(或は3?)本のモンラッシェが消えた。そして今、会場だったレストラン モンラッシェももうない。結局、残ったのは?あの日に出されたモンラッシェのリストだけ?
フォンテンヌ・ガニャール 2000
ブラン・ガニャール 2000
シャトー ドゥ ピュリニ・モンラッシェ 2000
ミッシェル クトゥ 2000
ヴァンサン ジラルダン 2000
アンリ ボワイヨ 2000
ルイ ラトゥール 1999
マルク コラン エ フィス 1998
オリヴィエール ルフレーヴ 1997
ラモネ 1997/1995
ジョゼフ ドゥルーアン M ラギッシュ 1997/1992
ルイ ジャドー 1997/1982
ブシャール ペール エ フィス 1997/1961/1947/1939
テナール 1997
フルーロ・ダローズ 1997
ラミ・ピヨ 1997
シャルトゥロン エ トゥレビュシュ 1997
アミオ ギ エ フィス 1997
ジャック プリウール 1997
モレイ・ブラン 1997
エティエンヌ ソゼ 1997
ルフレーヴ 1997/1995
コントゥ ラフォン 1997/1993/1992/1989
DRC 1997/1995