AOCなんていらない
ディディエ バラルのワインと言えば、可笑しな逸話がある。元々フランスのワインはAOC(APPELLATION D'ORIGINE CONTRÔLÉE=原産地呼称統制)でその「格付け」が決まるが、自然派のワインの造り手たちの中には、よくそのAOCを落とす者がいる。ディディエもその例外ではなかった。
それではAOCを落とすとどうなるか。具体的には、ワインの扱いが「AOC何某」から「ヴァン ドゥ フランス(以前のヴァン ドゥ ターブル)」となる。それにより、ラベルからAOCの名と、そして醸造年も消える。
もっとも、AOC落第常習犯は、そんなことで臆しない。そこはそこ、皆知恵を搾って、算用数字以外の表記方法で、「分かる人には分かる」ように年を入れている。例えばディディエは、「うちの客はAOCなんか付いていない方がいいと言っている」と涼しい顔で、とりあえず生産年が分かるように、ラベルに鴨の親子を描いていた。まるでダンス デ カナール(鴨鴨ダンス、フランス人なら誰でも知っているお祭りの時の踊り)、それともカナール アンシェネ(鎖につながれた鴨、フランスの週刊風刺新聞の名前)か、とにかく皮肉っぽさ満載の可愛い鴨たちだった。
ところがだ。世界中でディディエのワインの人気が高まりだし、フォジェールで一番有名なワインになると、今度は同地区委員会が態度を翻した。実に、「おら達もバラルの名に肖んべぇ」と、それまでつまはじきにしてきたディディエのワインを審査で通そうと、躍起になりだしたというからお笑いだ。
結局、AOCって何なんだ。自分たちの好みでどうにでもなるのか。以前の落第生が今日の優等生、基準さえ変わるのか。もう、単に葡萄の穫れた場所を証明する「原産地」以外、AOCの品質保証など、今や売り手側の都合、金儲けの道具でしかなく、意味がない。拘るのは誰?騙す人?それとも騙される人?