見出し画像

#7 アイドルに想いを馳せる②

100日後、30歳になる小川 #7


こっそりモーニング娘。を応援する(本人達に入るお金はほとんど払っていないから実質、見ていただけ)小学生時代を過ごした小川。

6期メンバーが加入した頃からだんだんと興味が薄れていくことになる。もちろん、6期メンバーの発表の際にありえないほどの沈黙が訪れた末に、道重さゆみがありえないサイズの鏡をカバンから出したことすら知らなかったのである。さらにいうと、ニャーオ、ニャーオ、と指導をする菅井先生のことも、全く知らなかった。

同い年の7期メンバー久住小春、光井愛佳が加入する頃には完全に興味を失っていた。あんなに劇的な加入サプライズを仕掛けられていたにも関わらず、知らなかったのだ。

同期(愛を込めてこう呼ばせてほしい。せめて、今日だけは)たちが、モーニング娘。入りを果たす頃、小川は多感な中学時代を過ごしていた。

中学入学当初の身長は139cm、もちろん学ランはブカブカ。見せかけの肩幅だけが歩いているようなものだった。そこから3年間でほぼ今の身長になる。人間、よくその変化についていけるようにできてるな、と感心する。

小学生の頃、陸上部に入っていた延長で中学校でも陸上部に入る。小さくて細い僕は短距離はやらせてもらえなかった。中長距離で地道にコツコツと毎日走る日々だ。中学校は山を切り出したような場所にあり、グラウンドは狭小。野球部の外野付近に防球ネットを張り巡らせ、上から降ってくる球に怯えながら走る日々だった。

その頃は学校と、部活、塾と習い事をただ淡々とこなす日々。今のようにネットで動画を見られる時代ではなく、レンタルCDをMDに焼いて聞く、夜のラジオを聞く。そんな日々だった。

一時期、今のテレビの前に齧り付きせっせとやっていたことがある。
それがレタリングだ。


は?
レタリング?


そうお思いだろう。
僕もそう思う。

なぜだろう、美術の授業で習ったレタリングを永遠繰り返しにやっていた。明朝体、ゴシック体、何だかずっとやっていた。ビデオテープのラベルを自慢のレタリングで埋める。そのような日々だ。

今思うとその時好きだったものがそのまま影響して、ロゴマーク、ロゴタイプというものに興味が深い気がする。電話をしながらメモに落書きする時も、今でもよく明朝体の文字を書いていることがある。

はっ...。
今度はレタリングに想いを馳せてしまった。


さて、そんな中学時代を経て僕はいよいよ高校生になる。
この頃聴いていたのはもっぱらガガガSPとB-DASHだ。初めて自分の意思で買ったCDは、ガガガSPが自主レーベル「俺様レコード」を立ち上げた最初のシングル、だったような気がする。


はて、アイドルの話はどこにいったんだろう。
ここから、僕の悲喜こもごもの高校時代を語っていくと永遠にアイドルに辿り着けないので一気にスピードを上げよう。


高校2年生のころ、修学旅行でPerfumeの振りコピをした。いきなりすごーくぶっ飛んだけど。次にぶつかるアイドルの話といえば、ここだ。Perfumeをアイドルとするならば。

「Dream Fighter」という曲を踊った。
かつらをかぶって、セーラー服を着て。
たしかのっち役、だったと思う。

これもまあ、まだあれである。
いわゆるノリ、みたいなものだ。
踊ったら面白くない?
その程度のものだ。
でもとても楽しかったことを覚えている。
振りコピって楽しいんだって気づいた瞬間。




そこから2010年になり、高校3年生になった。
世はAKB一色だった。
僕は正直その頃、何の興味もなかった。
1ばんスクラム!!(コント番組)に出ている前田敦子が可愛いなぁ。
くらいの情報しか持っていなかった。

しかし、ある日出会ってしまうのである。
AKB48 「チャンスの順番」に。


何の気なしにテレビを見ていたか、YouTubeを見ていたか、だったと思う。じゃんけんで選抜を奪い合うじゃんけん大会で4位に輝き、センターの内田眞由美の後ろ、こじはるよりもはるきゃんよりもなんなら美味しい位置にずっといた仲川遥香と出会ってしまったのだ。


仲川遥香

どうやら、彼女は「はるごん」という愛称で呼ばれており、渡り廊下走り隊の一員だそうだ。

当時、周りには一定数のAKBファンがいた。
その1人にトレカをもらった。
あげるよ。
…はるごんのトレカ。


こうして、僕のアイドルオタク、早めの第二の人生が始まったのである。


今日はここまで。


僕が30歳になるまで、あと94日。

いいなと思ったら応援しよう!