私は自分が都会の人間なんだと知った
これは私が生まれ育った東京を離れて初めて東京を愛していたことに気づいたという話。
故郷を好きだなんて別に特別なことではないけど、他人が話しているのと自分自身が体験したのではまるで違ったので、そのことを書きます。
生まれ育った街、東京
私は生まれてからの20数年を東京の郊外で暮らしてきました。都心からは1時間〜1時間半くらいの距離で、実家の周辺は住宅地。というより、自宅は住宅地の中の一軒家です。
家から1番近いコンビニは歩いて8分くらいのところにあるから、便利と言えば便利、不便といえば不便というくらいの土地といえば伝わるでしょうか…。
観光地もおしゃれなお店もない普通のベッドタウンが、私の20数年間だったわけです。
もちろん学生時代はたくさん都会に出ました。学校のあった池袋には毎日通ったし、宝塚を見るために1週間のうちに3回日比谷に行ったことも。
ほかにも演劇サークルに入って、稽古のために自由が丘に近辺にいた時期や、衣装を買うために浅草や原宿を歩き回ったこともありました。
今思えば、東京という街に育てられてきたのだと思います。
でも、東京にいた頃の私は、自分は東京から阻害されていると思っていました。
東京の街はとにかく広くて、たくさんたくさん歩き回ってもまだ知らない場所だらけだからです。
電車には人がたくさん乗っていて、みんな私のことを見ているような、見ていないような感じがする。みんな私よりうまくいっていて、みんな私の敵。
私は東京の広さと大きさと冷たさが苦手でした。
九州のいなか町で
この4月、東京を離れて就職することになりました。ところは彼の地、九州。
彼の地、なんて言ったら九州の人は嫌かもしれないですね。すみません。
でも、私にとっては遠い遠い場所でした。
空港からバスで1時間半を揺られて見えてきたのは、のどかな田舎街だった訳ですから。
その街は九州の内陸部、山々に囲まれた盆地。
私のアパートは市街地にあって、コンビニもスーパーも5分以内にあります。
でも遠く視線の先には必ず山があって、それらを越えなければ都市には出て行けません。
大学のない街なので若者が少なく、というかそもそも人が少ない。
夜は道路を走る車の音以外、しんとしています。
はじめは、都会の喧騒を離れて私らしい穏やかな生活を送れると思いました。
いや、たしかにその通りです。
人混みというものはおよそ発生せず、住んでいる人たちは親切で温かい。
山があり川が流れ、自然が身近に感じられるいい街です。
こういうのどかな土地で暮らすことが、自分には合っているのだと、そう思っていました。
引っ越し後はじめての都会
引っ越しをして一ヶ月。
初めて福岡まで出てみることにしました。
その時の体験が、私が何者であるかを知らしめるものであったのです。
福岡での用事は、人に勧められた小さな個展を見に行くこと。
すぐに済んでしまうような用事だったので、余った時間は適当に散策しようと考えていました。
高速バスは大きなバスターミナルで停まりました。
ターミナルはファッションビルの中に併設されているようで、エスカレーターを降りて行くと地下のショッピング街が広がっていました。
土曜日の昼下がり。
道いっぱいに人が行き交っています。
家族連れや、友達同士、私と同じくらいの年代の人もたくさん。
気がつくと、この人混みに落ち着いている自分がいました。
地下のショッピング街で人の流れに沿って歩く自分は、肩の力が抜けて息がしやすいんです。
文字通り、呼吸が楽になる感覚がしました。
びっくりした。
まさかこんな賑やかな場所で落ち着くとは思いませんでした。
周り中知らない人だらけで、お店からは眩しい照明と音楽が流れてくる。
それでも、そういう雑多な場所こそが私の居場所だとたしかに感じました。
いま住んでいる街は人とすれ違うことが少ないところです。
すれ違う時は一対一。なんとなくここら辺に住んでる人なんだと思って会釈したり、ときには挨拶してみたりするわけです。
距離の近い、顔の見えたコミュニティが広がっているのが、今住んでいる街です。
それに対して都会の街は常に誰かとすれ違う。
隣の席に座った人、前を歩く人、後ろを通り過ぎる人。みんなが他人です。
みんな等しく、みんながみんなの他人。
ショッピング街には、東京でみたようなお店が道の先まで並んでいます。
AZUL、INGNI、春水堂、スタバ…。
東京では見向きもしなかったようなお店まで、目慣れたものというだけで懐かしく思えてきました。
なんか、可笑しいですよね。
青春時代を東京で過ごしてきて、でも東京にあるのは全国どこでもあるようなチェーン店ばっかりなんだなと思います。
私はチェーン店に囲まれて育ち、チェーン店を懐かしく思う人間になってしまっていたんです。
それは寂しくもあり、また喜ばしいことでもありました。
なぜなら、チェーン店のあるところが私の故郷になるから。
スタバがあれば、そこは私の地元の駅前と同じです。
ミスドがあれば、大学時代の暇つぶしスポットと同じです。
福岡の街にももちろんそれらチェーン店はありました。私の愛する故郷の味が。
人に紹介してもらった小さな個展は、小さな画材屋の地下にありました。
小さなギャラリーに、作家とみられる壮年の男性と、手伝いの若い女性。
展示されている作品は面白かったけれど、そこは私のふるさとにはなりませんでした。
東京では個展に行ったことがなかったし、彼らは私の知り合いの知り合いというだけで、私にとっては知り合いでも他人でもなかったからです。
自分が都会の人間であること
その日の体験は不思議なものでした。
目的であった個展も面白いものではあったけれど、それ以上に福岡の街にいること自体が私にとっては大きな出来事でした。
都会にいることで呼吸が楽になるなんて、初めて知りました。
大切な青春時代を過ごした都会の空気は、私の体に染み込み、私の一部と化していたのです。
少し途方に暮れました。
もう必要ないと離れた都会の街が、こんなに懐かしいものだとは。
都会の人間の距離感が、こんなに居心地の良いものとは。
引っ越してきたばかりだけど、私は大きな失敗をしてしまったのではないかと、そう思ったのです。
でも、そんなことはひとまず置いておいて、私は自分が都会で育った都会の人間であることを知りました。
私は東京で育った人間です。
いなか町の暮らしは少し慣れないけれど、いいも悪いもなく私は都会の人間です。
そういうことを知った、一つの出来事でした。