戦わず平和な時間を共有するには
年越し対話会で、修復的対話を行った際に参加メンバーの心の内奥に去来したものに対しての覚え書き。修復的対話を体験した人には、おそらく参考になると思います。
初めは「あーーーしゃべりたい!」という自分の内なる衝動との闘いになると思います。また応答(自分の話)の内容も聞こえてきた話しへの反論のようなものが浮かびますが、次の発話の番までひたすら傾聴するしかない、このカオスともいえる時空間を深く旅するうちに、「戦わずして平和な時間」が訪れるのですが、著書「会話・協働・ナラティブ」の中にある、Harlene Anderson へのQ&A にそのヒントがあるように思いますので、言葉の旅をする皆さんと共有出来ればと思います。
Harlene Anderson へのQuestion
話しを聴いている間に頭の中を駆け巡っているいくつもの考えの中から何を選ぶかについて、あなたの考えを詳しくお話し頂けますか?
Harlene Anderson のAnswer
会話に従事していれば、当然それは自然な活動です。しかし、自分自身の会話のペースを落とし、相手に割り込んで中断することなく、次に言うことを考えるのに時間をかけることは、時として困難です。
質問で考えさせられたことは「間(ま)」の概念です。かつてヒューストンで仕事をしたことがあります。かれらが興味をそそられると同時に、幾分イライラしていたことは、テキサスの人たちが、互いに重なり合うように話して話しが噛み合わないことでした。テキサスの人は、相手が話し終えるチャンスを与えなかったり、相手の代わりに考えを決着させたり、思考の流れを中断させるのです。
ベイトソンが応答を考えるのに七秒はほしがっていたというのを聞いたのもちょうど同じ頃でした。思慮深い応答のためには、相手に対して言いたいことをいうのに必要な時間を与え、相手が言ったことに対するあなたの考えと応答を形成するのに充分な「間(ま)」をとることが必要だとわたしは考えます。
私たちの普段の会話を『観察』してみると、互いに重なり合うように話して、話しが噛み合わなかったり、相手が話しに割って入って、話し終えるチャンスを奪われたり、聞いていた人が代わりに相手の話を自分の考えで話してしまったりして、話している人の思考を中断させていることが多いことに気がつきます。
Harlene Anderson はそれは自然なことであり、
充分な「間(ま)」をとることが必要だと答えています。
人と言葉のやりとりを行う際に「豊かな間」をとることができれば、「新鮮な場」が創出される可能性があがります。しかし普段は「テキサス」の人(総てがそうではないと思いますが)のようになってしまいます。
修復的対話は、会話に参加される方が例え予備知識がなくても「戦わずして平和な時間」が訪れる対話の在り方であり、修復的対話の実践、普及、啓発も、みんなでおこなう会話を通した平和な活動なのだと思います。
〜 善き言葉の旅が訪れますように 〜
命とはつながりである服部英二先生
みんなでおこなう会話を通した平和な活動
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