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平和。

今朝の見性。

家内が「時計の音が聞こえたり消えたり、杖を突く音に聞こえたりした。」といった。外に世界は確かにある。(と思われる)

有りの儘の世界。

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時計は確かにそこにあるし、音も確かに聞こえてくる。空気を振動させ鼓膜を確実に振るわせているはずだが、聞こえなくなったり、他の音に聞こえることがある。

この事実は、私たちはウチ側でそれぞれ独自の、また偏った世界を作り上げていて、有りの儘の世界を観ていないことを報せてくれる。

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無限耳鼻舌身意

眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、総て外の「有りの儘」を得る器官であるが、「有りの儘」ウチ側に入る訳ではない。

色即是空・空即是色

あるけれど、ない。ないけれどある。両極端を合わせ持つ。不二法門など、無や空の事象が身近にあることを普段は気づいていない。

ノルウェーの精神科医トム・アンデルセン(1936-2007)

とても大切だと思われるのは、セラピストが「一方の声に加勢して、他方の側にはつかない」ということはしないこと、また、「一方の声を統制する他方の声を助長しないこと」だ。あらゆる平和活動において、そうであるように、それらの声は「一緒に生きられることが大切」だ。

と、会話における平和の在り方を説いた。

今この瞬間に、個々人がこのことに気づき、目覚め、小さくても動き出すならば、世界と共に「平和」を推し進めることが出来るのではないかと思う。

しかし今日、日本という国は、一方の声に加勢し、あらゆる声(ポリフォーニー)が上がらず、尊重し共有されず、声を上げても「一緒に生きられる」ことなく、分断分裂を更に推し進めているのではないかとも感じる。

もしかしたら平和とは反対の方向を向いているのではないかと。

個々人が「あらゆる声」に無関心なあいだに、リーダー達は自分たちの力強い声=自分たちの善・自分たちの正義を掲げ続ける。

個々人でもできる世界平和。
その一つが、「みんなでおこなう会話を通した平和な活動」なんだと思う。

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