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対話を体験するということ

対話を体験するということ

イベントや対話会で、積極的に人を集めるというよりは、自然に人が集まってきたり、自然に広まってゆけばいいなあといつも思ったりしています。

ある日、ひとり親支援をされている方が、「父子家庭」の支援としてお父さん向けに対話体験会を開けないかと訪ねて来られました。

さて?誰だったかなあという顔をしていたのでしょう。「一年ほどまえにお寺様で焚き火を囲んでの修復的対話(トーキングサークル)体験会に参加していたものです。」と話して下さり、「ああ!」と取り繕うことができました。(ほっ、安堵。私は人の顔と名前を簡単に記憶することができない)

お話を伺うと、その時の体験が「きっかけ」となってご依頼(=ハタラキ)に訪ねて頂いた様子でした。

先方から訪ねてこられました。これがいい感じです。有り難いです。こちらが集客や広報に力=Powerを入れれば入れるほど、そのPowerに押し切られるようにして、参加されたりすることはよくあると思います。背中を押すということもあり悪いことではありません。

一方自らが何かを乗り越えてこられる場合は、相手のPowerが強いと思います。そのPowerをこちらのPowerで圧倒しないように、こられた動機や経緯と、期待されること(相分)を伺ってゆく(見分)。そうすると私の知らない世界が私の中に流れ込んでくる。その時の自分の反応(内的対話)を少し上から眺めてみる(自証分)。味わってみる。更にもう一次元上空から味わってみる(証自証分)。

そして言いたくなったことが出てきたら、相手の間をまって声を出してみる。間が取れない時は聞き続けることになるので、言いたかったことは何処かへいってしまって、また聞こえてくる世界の中を旅する。何処かの間で自分の感じたことを話して、観る。けれどもその声や話が何かきっかけになっていない時は反応が乏しかったりスルーされるので、それもひとつの「きっかけ」として頂ける。時には「そうではなくて」と否定される。否定されるからこそ、隠れていた背景が前景化されて、何かが立ち上がってくる。独善的になる自分を鎮めて自分の中からは出てこない声、話を聞き続け、お互いにとって新しい境地を見いだす。

もしPowerの均衡が大きく失われたら、新しい可能性は生まれないのかもしれない。そこに差異があるからこそ新しいものが生み出される。どちらか一方の考えで世界が塗りつぶされるとしたら、それはとても恐いものだ。今世界で紛争として殺戮が行われている。一方があれば必ず他方がある。その両方を並べて共に眺めてみることができない。自分の考えをミサイルの如く相手に撃ち込む話し方に代えて、相手の話や事情を聞ききってみる。共に自分の立場は少し横に置いてお互いを理解しようと試みることが大切なのだろうと思います。

さて、私には強烈な体験があります。「実行できるくらい単純な、有用と思えるくらい創造的な、どこでも行えるほど小さな、しかも我々の関心を失わせないだけの予期せぬ驚きに満ちたなにものか」と称されるノルウェーの精神科医トム・アンデルセンが行った「リフレクティング・プロセス」の研修を始めて受けたときのことです。実際にロールプレイを体験したとき、これは効くという直観と、起こるであろうことを意味理解しました。

小中学校のとき、この「リフレクティング・プロセス」という会話構造を転用した言葉と態度による「いじめ」にあっていたからです。身体的いじめも受けてはいましたが、言葉による精神的ないじめの方がPowerがあったように思います。

簡単にいえば、教室からは出さないようにして、しかし透明人間化され、居るにもかかわらず居ないことにされ、私の悪口や汚いことばを決して私に向けては言わず(居ないことになっているので)みんなで放言しつづけるという。時間が来るまで耐えるしかなかった。

簡単に実行できる単純ないじめ
有用とおもえるくらい創造的ないじめ
どこでも行える小さないじめ
しかも皆の関心を失わせないだけの予期せぬ驚きに満ちたゲーム

時間が来て先生が来ても「何も無かったかのように振る舞える」。身体的いじめはそうはいかない。とても手軽で効くいじめだった。やっているほうはそんなに自覚がなかったかもしれない。この小さな簡単なゲームは、

体験があるからこそ内なるPowerは強い。そこで起こることを善用して地域でトム・アンデルセンが感じていたリフレクティング・プロセスの効用を広めてゆきたい。そのための足がかりとしてベンチを作り続けていくのは、私の体験によるのかもしれない。そして頼まれれば出向いていって聞くと話すが分かれた会話、可能性が開かれる対話の場を体験してもらうことを、し続けているのだと思います。

体験を通して学びながら対話実践を続けてゆく。またそのサポートをしてゆくのができればいいなあと思っています。

父子家庭のお父さん達にも、仕事場や家庭、また他の親子さんと開かれ繋がりゆくことを願って対話体験をしてもらえたらと願っています。

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