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「命とはつながりである」 by 服部英二

これらの現場を訪れた矢原教授は、リフレクティングを経験した受刑者の感想で印象的だったものとして「自分自身と親しくなれた」「この会話を通して、自分も刑務官も心理士もみんなが人間になった」といった声を紹介しました。(上記レポートから抜粋)

脱獄王が「脱獄中に警官によくしてもらった」話や、反社会組織の顧問弁護士が「愛情をもって子どもを育てたらよい」というNHKの表現は、他者(地域社会や親など)との繋がりを通して「人間になった」=命を頂いたという例なのではないでしょうか。

「〈生きているもの〉と言うのは、実はいきているものではない」と如来は言っている。それだからこそ、生きているものといわれるのだ。(中村・紀野1960)

今も高野山におわす弘法大師は、生死を超脱して今も私たちと繋がりがある「命とはつながりである」から、弘法大師は生きていることになる。

心臓が動いていて「生きているもの」であっても、つながっていなければ「実は生きているものではない」。

「命とはつながり」であるから。

生きている(私たちと今もつながっている)弘法大師は、実は生きている(心臓が動いている)ものではない。(私の独自解釈が伝わりましたでしょうか...)

「命とはつながりである」ということをリフレクティングプロセスの探求を通して、更に考え直してみたいと思います。


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