相氣的挨拶
相氣的挨拶とは何か。
例えば「挨拶をしましょう!」というと、「する」「させる」という二分されたものを感じます。近代のスポーツで言えば、自分と相手が分かれていて、相手の自由を奪う為に如何に技をかけて投げるかみたいな。
古武道の相氣って、ちょっと違う感じを受けていて、一体となって気付いたときには投げられていた感。 こちらの「おこり」が察知されてしまうと相手は身構えますが、すっと入って「こんにちわ」って言えば、見知らぬ人でも大抵のひとが「頭をさげて」「こんにちは」と返して「しまう」状態。
無視して通り過ぎるのはお互いに簡単で、いまやそれが初期設定のような感じですが、うっかりと挨拶できてしまったほうが、なんかちょっと心が軽くなる感じがしています。
相手もそのような感じになっていれば嬉しいです。 こんな感じで人とひとの関係性を修復していけば、少しづつですが「まち」や「地域」も生き心地の良い町になるかもしれません。
勿論挨拶すること、されることが苦手な方もおられると思いますので、その方に向けて強いるのはある種の暴力である可能性があり、「相氣的挨拶」ではないと考えます。