隙自語という兆し
「すきじがた」と読み、どうやら若い人が使う言葉の様です。
ネットで検索してみたところ、「隙あらば自分語り」の略で、機会を見つけると、すぐに自分の経験を自慢げに語り出す様子を言うそうです。他にも色々と出てきますが。。。。
話が遮られることへの違和感。
話を聴くのではなく聞かされる事への違和感。
若い人達が「隙あらば自分語り」に敏感になっているとしたら、善い兆しなのでは?と思えます。
物理学者のデビッド・ボームは著書「ダイアローグ」の「コミュニケーションとは何か」の中で、遮断「ブロック」という言葉を用いて以下のように書き残しています。
集まって話し合いをするときや、何かを共同で行うとき、自由に耳を傾ける能力を「ブロック」しているかすかな恐怖心や喜びを、一人ひとりが自覚できるだろうか?(p41)
デビッド・ボームが懸念したこの ”?” を若い人達が自覚し始めたのなら、公共する世界への兆しと受け取りたいと思います。