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赤報隊事件

最初に言っておきますが、この記事は赤報隊事件の再調査を願うものであり、なんらかの陰謀論を主張するものではありませんし、何らかの事件の犯人を断定するものでもありません。


赤報隊事件は1987年から数年にわたり、朝日新聞やその他が襲撃や脅迫を受けた事件である。
実際に死者が出て、銃の使用まで起きているにも関わらず、事件は未解決のまま時効となっている。

1986年12月 朝日ジャーナルで「霊感商法」特集

1986年の12月の朝日ジャーナルで「霊感商法」特集が始まった。
元朝日新聞記者、藤森研氏はそれと同時期に謎の「嫌がらせ」が始まったと語っている。

そもそも旧統一教会が話題に上ったのは1980年代。印鑑や壺(つぼ)などを高額な値段で売りつける「霊感商法」が社会問題となった。そのきっかけとなったのが1986年に「朝日ジャーナル」が始めた霊感商法追及キャンペーンだった。

https://dot.asahi.com/dot/2022082600072.html?page=1

「朝日ジャーナル」は断続的に旧統一教会を批判する記事を掲載してきた。それに対して旧統一教会は「信者が勝手に行っていることで、教会は関係ない」として編集部に抗議した。しかし、抗議の“効果”がないとわかると、教団は次第に記者本人や家族を標的にするようになった。
「86年12月ごろ、霊感商法追及キャンペーンを始めてすぐのころでした。当時、僕は東京・三鷹の借家に住んでいた。家主の息子が『未明から変なワンボックスカーが向かいに停まっている。中には屈強な若者が何人か乗っていてこちらをずっと見ているよ』って、知らせてくれた。それが嫌がらせ、個人攻撃の始まりでした」
休日、家にいると嫌がらせ電話がかかってきた。
「『この世界で飯を食えなくしてやるからな』とか、いろいろなことを言うわけです。それから、なぜか娘の名前を知っていた。『〇〇ちゃん、元気? ふふふ』。心配になって、下校時に迎えに行った。そんな電話がじゃんじゃん続いた」

https://dot.asahi.com/dot/2022080700008.html?page=2

「仲間に嫌がらせ電話について相談すると、受話器録音装置を持って、駆けつけてくれた。それで『さあ、証拠をとっているからどんどん言え』って言ったら、無言電話に変わった。それでも1日100本以上かかってくる。仕方ないので、電話機を布団蒸しにした」
 こんなこともあった。
 最初はワゴン車の中にいた男たち。だが次第に家の入り口をうろつくようになった。
「あまりにもひどいので、こちらも攻勢に出ることにしました。カメラを持って出て行って、証拠を収集するからと言って、バチバチ写した。そうしたら、50メートルくらい離れた公園から見張るようになった」
 ある日、その見張りを巻いてそっと横から近づき、腕をつかむと大騒ぎになった。
「男は『藤森さん、何するんだよ! 警察呼ぶぞ』って言うから『いい考えだ、一緒に行こう』と、駅前の交番に向かって歩いていった。途中、『電話させてください』って言うから、公衆電話で立ち止まったら、電話かけるふりして突然100メートル11秒ぐらいの感じで逃げていった」

https://dot.asahi.com/dot/2022080700008.html?page=3

1987年1月 朝日新聞東京本社銃撃事件

いわゆる「赤報隊事件」の最初の事件。事件発生当時は殆ど無視されていたようだが、後述の阪神支局襲撃事件のときに改めて捜査されたようだ。

87年1月に東京本社の窓に散弾銃が撃ち込まれたのが最初の事件。2日後に声明文が通信社に届いたが、公にはならず、警視庁が弾痕や散弾粒を確認したのは8カ月余り後だった。阪神支局襲撃後の声明文には、東京本社で発砲して「警告文」を送ったが、無視されたとして「天罰をくわえる」と記されていた。

https://www.asahi.com/articles/ASQ4Z5SY2Q4CPTIL036.html


1987年2月11日 建国記念日

当時ジャーナリストをやっていた有田芳生は朝日ジャーナルの1987年2月27日号で建国記念日の統一教会の様子について記事を書いている

「国民式典」から追われたかたちの勝共連合は今年の2月11日は奉祝会主催の明治公園での「紀元節祭」に参加した。
 こうした勝共連合の動きに対し、奥原氏は「おかしいねえ」という。
 たとえば勝共連合と友好関係にある統一教会幹部だった副島嘉和氏は、その手記(『文藝者秋』84年7月号)のなかで、天皇が文鮮明氏に拝跪する儀式があるとのべている。
 韓国が「神の国」で、日本はその「僕(しもべ)」だという教義からは、こちらの方が当然の帰結なのだ。
 たしかに天皇元首化を主張する神社本庁などと勝共連合の主張とは矛盾している。みずからの基盤を広げ、そこで市民権を得ることができるなら、本来は矛盾する天皇賛美であろうと何であろうとかまわないのであろうが、それにしても、いささか度が過ぎる。
 勝共連合は昨年の天皇在位60年パレードに積極的に参加するなど、最近、天皇制への傾斜を深めている。
 しかし、天皇制へ近寄れば近寄るほど疑惑の目が厳しくなっていることも事実だ。神社本庁の関係者の中にも「どこまで一緒にやれるかわからない」という声は少なくない。
 さらに、86年の衆参同日選挙以降、自民党内でも勝共連合への反発を示す国会議員が出はじめている。

https://dot.asahi.com/dot/2022082600086.html


1987年2月 朝日ジャーナル編集部宛に脅迫文が届く

ジャーナリストの樋田毅氏は当時の朝日ジャーナルに脅迫文が届いていたことを記事に書いている。

二月二十六日付の消印で「社員のガキをひき殺す」という内容が書かれた手書きの脅迫文が、朝日ジャーナルの編集部宛に届いていました。これらが統一教会のものかは、定かではありませんが、朝日ジャーナルの批判記事を巡って、こういう脅迫状が書かれてもおかしくないほどの緊張関係があったことは確かです。

https://president.jp/articles/-/61424?page=2


1987年2月 霊感商法対策弁護士連絡会立ち上げ

山口広弁護士は1987年2月、霊感商法対策弁護士連絡会を立ち上げた。その時に"攻撃"が始まったと記している。

 1987年2月、山口弁護士らが霊感商法対策弁護士連絡会を立ち上げた直後から、統一教会の“攻撃”は始まった。 「霊感商法の被害者相談会を開いたことがメディアで報道されると、ビラが撒かれるようになったんです。ビラには僕の生年月日や自宅住所が書かれていて、自宅周辺や職場に向かう道中でも配られていましたよ。ビラは全部で10万枚以上も撒かれていたと、後に元信者から聞きました」  同時に、自宅への無言電話もあったという。 「一日200~300件の迷惑電話が3週間続いたんです。ほとんどは無言でしたが、なかには『私は壷を授かって喜んでいるのになぜ悪口を言うんだ』などと、延々と話す者もいた。元信者の話では、10円玉を数十枚渡されて、指定された番号にかけ続けろと指示されていたそうです。刑事告訴も考えましたが、『朝日新聞』が迷惑行為を記事にすると、翌日からスパッと止まりました(笑)」

https://smart-flash.jp/sociopolitics/199634/1


1987年3月 青春を返せ訴訟開始

統一教会の元信者が統一教会を訴えた裁判。いわゆる「青春を返せ」訴訟。

宗教活動であることを隠して勧誘し入会させられ、精神的苦痛や経済的被害を受けたとして、新潟県ほか首都圏の「世界基督教統一神霊協会」(統一協会)の元信者35人が同協会に総額約3億3500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、新潟地裁であった。大工強裁判長は「違法な勧誘・教化行為で信教の自由や財産権を侵した」として、同協会に約8700万円の支払いを命じた。
判決によると、元信者は80年代からから93年ごろにかけ、同協会に勧誘され、教義とは直接関係ない印鑑や壷(つぼ)などの販売に従事させられたり献金をさせられたほか、合同結婚式で見知らぬ相手との結婚を強要された。判決は原告の経済的被害を認定したうえで「元信者を違法な活動に従事させた」とし、教会に不法行為への使用者責任があると認めた。

https://www.christiantoday.co.jp/articles/8818/20050426/news.htm

「25、6歳だったかな、霊感商法の中核を担わされ、霊能師として因縁トークをして壺を買わせていた女性でした…。涙です。滂沱(ぼうだ)の涙ですよ。顔を伏せるのでも、拭おうとするでもなく、涙が流れるまま話し続けました。犯罪行為を正しいこととしてやっていた自責の念に痛烈に苦しんでいたのです」 そして、郷路は旧統一教会が如何に周到な段階を踏んで信者を隷属させ、人生を収奪しているのかを知り、「こんなこと絶対に許せないと思った」という。 発火点を得た郷路は、元信者1名を原告に1987(昭和62)年3月、札幌地裁に提訴する。霊感商法は公序良俗違反の不法行為であり、伝道・教化活動を洗脳による人格破壊と構成して100万円の慰謝料を請求した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/289b8880f9fc88dbbde3a66bac4167b31956b456


1987年5月3日 朝日新聞 阪神支局襲撃事件

いわゆる「赤報隊事件」の中でも最も有名になった事件。

1987年5月3日の夜、朝日新聞阪神支局に目出し帽をかぶった男が侵入し、小尻知博記者(当時29歳)が、散弾銃で撃たれて死亡。

 犬飼兵衛記者(故人)が重傷を負いました。

https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_14890.html

犬飼記者らの証言から、阪神支局を襲撃した男は20~40歳前後、身長165センチ前後とされた。銃は12番口径の2連銃とみられ、弾は米国レミントン社製のピータース7・5号弾と判明。この弾は射撃用に輸入され、全国で約1千万発が販売されていた。現物が残る声明文はいずれも同じワープロで作られていた。警察は約2万4千台の所有者を割り出したが、大量販売の壁に阻まれた。

https://www.asahi.com/articles/ASQ4Z5SY2Q4CPTIL036.html


1987年5月 朝日新聞東京本社に脅迫状が届く

赤報隊かどうかは不明だが、上記の事件後、「統一教会の悪口をいうやつは皆殺しだ」という趣旨の脅迫文と本物の薬莢が朝日新聞社に届いたようだ。このことは国会でも取り上げられていた。

事件から三日後の五月六日には朝日の東京本社に「とういつきょうかいのわるぐちをいうやつはみなごろしだ」という脅迫状も届いていて、使用済みの散弾容器二つが同封されていたそうですね。

https://president.jp/articles/-/61424?page=2

ゴム印を押したような文字でルーズリーフノート一枚の「とういつきょうかいの わるくちをいうやつはみなごろしだ」という紙を同封して、薬きょう二個を入れたものが朝日新聞本社に届いた

https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=110805206X00319870515&current=1



1987年?月 牧師の杉本誠さんが脅迫をうける

日本キリスト教団西尾教会の牧師(当時)の杉本誠さんもやはり、疑わしい人物から脅迫を受け、その後嫌がらせを受けている。
興味深いのは「朝日の記者みたいになりたいのか」という部分だ。実際に起きたテロ行為を連想させて牧師を脅迫する人物の正体とは。

旧統一教会との関わりは、杉本さんが愛知県西尾市にある日本キリスト教団西尾教会の牧師となった1987年にさかのぼる。当時、旧統一教会の霊感商法は社会問題になりつつあった。批判する講演会の代表を引き受け、開催を知らせるチラシを配った。するとある日の夜、自宅に「講演会について話がしたい」と電話があった。
指定された喫茶店に行くと、そこにいたのは見ず知らずの男性7人。相手は名前を名乗らず「講演会を中止してほしい」と迫った。杉本さんが断ると、相手の1人が「朝日の記者みたいになりたいのか」とすごんだ。その年の5月、朝日新聞の阪神支局が散弾銃を持った男に襲われ、記者が殺害される事件があったばかりだった。
その場は他にいた男性がとりなして事なきを得たが、その後は連日、無言電話や自宅の雨戸に石を投げられる嫌がらせが続いた。

https://nordot.app/940442872077500416?c=39546741839462401


1987年9月 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件

いわゆる「赤報隊事件」のひとつ。

 1987年9月24日夜、名古屋市東区の新出来寮(廃寮)が襲われた。阪神支局と同じように、目出し帽の男が、鉄筋4階建ての建物に散弾銃を持って侵入。1階の居間兼食堂にあったテレビに発砲した。
 画面を覆う強化ガラスが粉々に割れ、ソファまで飛び散っていた。右下のスイッチ部分が1センチほどへこみ、直径10センチ余にわたって大きな穴と数十個の細かい穴が開いていた。
 さらに西側の民間マンションでも、外壁のコンクリートがえぐられる弾痕や散弾粒などが見つかった。犯人は2発を撃ち、現場から逃げた。ここでも阪神支局と同じ米国製の散弾が使われた。
 34室の寮には単身者ら19人が住んでいた。その時、ただ1人いた記者は3階自室で寝ており、管理人の女性も入浴中で難を逃れた。

https://www.asahi.com/articles/ASK2K3PM6K2KPIHB00C.html

 87年9月、名古屋本社の社員寮で、居間兼食堂のテレビに散弾銃が撃ち込まれた。居間には誰もいなかった。近所の住民が発砲音を聞き、寮から出てきた目出し帽の男を目撃した。通信社に届いた声明文には「反日朝日は 五十年前にかえれ」と書かれていた。50年前の37年は日中戦争が始まった年だ。

https://www.asahi.com/articles/ASQ4Z5SY2Q4CPTIL036.html


1988年3月11日 朝日新聞静岡支局駐車場爆破未遂事件

いわゆる「赤報隊事件」のひとつ。

朝日新聞静岡支局爆破未遂事件は、63年3月11日に発生。静岡市追手町にあった静岡支局(当時)の駐車場に、時限装置付きのピース缶爆弾が置かれ、不発のまま翌朝に発見された。

https://www.sankei.com/article/20211214-6CTLCBMYKFJMTP6Z7VAY57FD2I/?outputType=amp




(参考1)副島襲撃事件

副島襲撃事件(1984年)

赤報隊事件の少し前の1983年。当時世界日報社長だった副島嘉和が、(後に統一教会会長となる)梶栗玄太郎率いる信者集団に世界日報社を占拠されて解任となった。
その後、副島は文藝春秋で統一教会の告発を画策するが、1984年の6月2日夜、副島は何者かに襲撃されて生死の境をさまようことになる。
事件は未解決のまま時効となった。


(参考2)当時の捜査官の証言

当時の捜査官は「ある宗教団体」が関与している話を聞かされ、情報を集めていたが、上司から捜査の中止を言い渡されたとしている。


おわりに

副島襲撃事件、赤報隊事件、そして弁護士や牧師、ジャーナリストへの異常な脅迫と嫌がらせ。いずれも(いちぶを除き)犯人は不明である。
しかしながらこれらの犯人がいずれもわかっていないことこそが日本の闇ではないだろうか
いまからでもこれらを詳しく再調査してほしい。


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