当事者性を振りかざす話
ぺけったーで長いこと私をフォローしてた人ならわかると思いますが、私は「必要のない場所で当事者性を振りかざすべきではない」という話を何度かしてきました。
これは例えば
「私はりんごよりみかんが好きだ」
といえば、「このひとは個人の感想を述べているのだなあ」と誰しもが認識するでしょう。
ここで、ひとこと余計なものを添えて
「LGBTである私はりんごよりみかんが好きだ」
と言っている人がいたらどうでしょうか。
すこし理屈っぽい人なら
「LGBTであってもみかんよりもりんごが好きな人もいる。これは個人の感想を述べているに過ぎない」
とわかりますが、感受性が豊かすぎる人、あるいはあまりよく考えてない人は
「LGBTであることと、りんごよりみかんが好きであることにはなにか関連があるのかな」
とか思ったりすることが容易に考えられますね。
一般的に考えてLGBTであることと、りんごよりみかんがすきなことには、なんの関係もないでしょう。
よって「LGBTと関係のない話に対してLGBT当事者であることをことさら強調すべきではない」と私は言っているのです。
重要なポイントは、「当事者性を振りかざすべきではない」ということは、「おまえはLGBT当事者ではない」などという意味合いを一切含んでいない、というところです。
当事者性の乱用を批判しているのであり、当事者性を疑っているわけではないわけです。
これが例えば同性婚の話になったらどうでしょうか。
「LGBT当事者である私は同性婚に賛成しています」
ならば、LGBT当事者であることと同性婚に賛成することは大いに関連したことでしょうから、この文脈でLGBT当事者であることを強調することは問題がないでしょう。
いっぽうで
「LGBT当事者だけど私は同性婚に反対しています」
ならばどうでしょうか。その個人がLGBT当事者であることと「同性婚に反対すること」が関係しているかどうかは一概には言えないのではないでしょうか。
関連しているというのが理論的に述べられるのであれば別ですが、そうでないのであれば「同性婚に反対している」というのは個人の責任で述べるべきであり、ここでLGBT当事者であることを振りかざすのは当事者性の乱用に当たるでしょう。
先程の議論にも書いたように、ここで私が問題だとしているのは「当事者性の乱用」であり、私は「同性婚に反対しているバイセクシャルはLGBT当事者ではない」などとは一切主張していません。
にもかかわらず、私が「同性婚に反対しているバイセクシャルはLGBTではない」などといったと捏造をして絡んできたのが蒼平(mukoyamasohei, soheimukoyama)、涅槃の今日一やそのお仲間たちでした。
あげく、バイセクシャルが同性婚に反対していることについて述べたツイートとは全く無関係のツイートに対して
「マジで一回立ち止まってほしい」
などと因縁をつけてきましたが
私からしてみれば、蒼平とかいうアカウントがなぜ私を批判しているのかすらわかりません。このアカウントが何をどう誤読しているかすらこのツイートではわからないですよね。
まずお前が何をどう読んだのかを説明しろっての。
すこしでも常識のある人なら、「私はこう読みましたが、この解釈であってますか?」という確認を入れるところでしょう。
この蒼平とかいうアカウントは前回書いたペド擁護騒動でお仲間共々アカウント凍結してましたが
どうせ「自分たちは悪くない」と強固に思い込んでまた別の場所でLGBT差別に反対している人たちを糾弾することでしょう。
蒼平が私に一切の説明をしていないのは、「仲間内でLGBTの糾弾ごっこができればそれでいい」とでも思ってるからであり、相手と対話する気など最初からないのでしょう。