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乃南アサが"しなかったこと"
なにやら一部で熊本日日新聞が掲載した例のヘイト本の書評が話題となっているようで、こんなものがでていますが
私はこれを読んで、乃南アサがひどく不誠実だなあと感じた。
熊本日日新聞の書評で乃南アサは例のヘイト本が多方面から批判を受けていることを把握しているように見えるが、乃南アサはその「批判」についてまるで調べていないように見える。
この本は軽くWikipediaを読むだけでも多数の批判を参照できる
日本語でも何が問題なのかを具体的に指摘している資料を読むことは可能なのだが、書評ではそれらについて全く触れられておらず、「むしろこの本に対する反論をちゃんとを読んでいないのは乃南アサ本人なのでは」という感想を抱いた。
例えば、外国人差別であると指摘されている書籍の書評を書くときに、指摘されている内容をきっちり確認せずに「この本はヘイトじゃない」とかいう行為はヘイトへの加担というのではないだろうか?
実際、この書評の中で乃南アサは、カリフォルニア州について
「親への通知や親への同意なしに、ホルモン療法をうけられるだけでなく、学校を早退して受けられるようになるかもしれない」
と書かれた部分を引用しているが、これはトランスヘイターが去年めちゃくちゃ宣伝していたプロパガンダであり、デマである。
この書評を書いた結果として、乃南アサは著者のトランスヘイトデマを再生産して拡散したわけである。この本への反論をきちんと調べていたらこのような事態にはならなかっただろう。この本の出版に反対した人たちが恐れているのはまさにこのような事態だ。なにも知らない人がこの本を読んでデマを拡散したうえでヘイトではないとか頓珍漢なことを言い張ってしまう。
女性の安全を守るためにデマを使う必要はなく、むしろデマは女性の安全にとっても有害にしかならないというのは草津の冤罪事件を見れば明らかであり、このデマを使うのは純粋なトランスヘイトにほかならない。
また、乃南アサは書評でもmondの投稿でも「トランスジェンダーの友人」がいると主張しているわけだが、ではその友人に対してこの本がなぜ問題視されているか確認したのであろうか。
もし確認したうえで上記のような間違いを犯しているならその友人というのはあまりこの本の問題に詳しくないのではないだろうか。
Mondの投稿に対して北丸雄二氏が「I have a Black firend」とコメントを付けている。
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これは白人至上主義者がよく使う論法で
「私には黒人の友だちがいる。だから私は差別主義者ではない」
という論法だが、黒人の友人を持っているとかいくら言い張っても「黒人の犯罪率が高い(ので"区別"すべきだ)」などという主張を掲げたりしていればそれは差別主義者であり、黒人の友人を持っていることは差別主義者ではないことの証明には全くならないよという話である。
北丸雄二氏は、「トランスジェンダーの友人がいる」と主張する乃南アサが「黒人の友人がいる」と主張する白人至上主義者と同じではないか、と言っているわけである。
往々にして「黒人の友人がいる」と主張する白人至上主義者たちは自分たちの白人至上主義についてどう思うかを「黒人の友人」に対して聞いたりしないわけで、そのような白人至上主義者にとっての「黒人の友人」というのは自分の説を補強するための道具に過ぎず、自分がとても非人道的な思想を持っていることに自覚がないのである。
少なくとも、書評やmondで「トランスジェンダーの友人」の話をだすのであれば、それらの人物に対してこの本の問題性について確認するくらいの慎重さは必要でしょう。
また、mondでは
私は未だかつてLGBTQの人たちを差別する、また偏見を持ったことは一度もありません。また、そのような文章を書いたこともなく、編集者ばかりでなく、読者の方からも、そのような指摘を受けたことは一度もありません。
などと書いているわけですが、過去に差別だという指摘を受けていないということは将来にわたって差別をしないということを全く保証しないわけであり、これをもってトランスヘイターではないというのは論理的とは言い難いでしょう。
さらに乃南アサは
私を「トランスヘイター」と決めつけてかかって来られるのは非常に心外であり、また侮辱です。
と続けるわけですが、ここで乃南アサがすべきなのは「なぜ自分のことをトランスヘイターだと思ったのか」という部分を具体的に聞くことであり、「非常に心外」などと自分が被害者であるかのように振る舞うことではないだろう。「トランスヘイター」だという指摘するからにはこの高校生が乃南アサの書評を見て傷ついた可能性があるわけで、これを「非常に心外」などといって気持ちの問題だとしてしまえば乃南アサも高校生もどっちもどっちだとしかならないわけです。
ましてや
「あなたはまったく読み間違いをしています。」
などと決めつけている行為はとても建設的とは言えず、物書きとしてとても恥ずかしい行為でしょう。
ここまで、乃南アサがすべきだったのにしてなかったことをまとめると
この本がなぜ問題だと言われているのかを調べなかった
「トランスジェンダーの友人」にこの本の問題について聞かなかった
高校生がなぜ「トランスヘイター」だと思ったのかを聞かなかった
となります。
ひつとつひとつは「めんどくさい」「不注意だった」とかで言い訳ができるでしょうけど、ここまでの不作為をみると「乃南アサは最初からトランスに対して悪意があるのでは」という感じが私にはしました。少なくとも乃南アサが守りたい対象にトランスジェンダーは入っていないのでは。
ただの個人的な感想です。
乃南アサに限らず、例のヘイト本を読んで「何がヘイトかわからなかった」などと言いたがるトランスヘイターは多いですが、ヘイト本の問題性はヘイト本の外で指摘されているのであって、そもそも問題を理解していない人がいくらヘイト本を読んでもなにが問題なのかわからないのは当たり前であろう。なにが問題なのかわからなかったと思うなら、ヘイト本を批判している資料をあたるのが当然のリテラシーなわけである。
自分たちに都合の良い資料しか読まず、批判から目を背けて「これはヘイト本ではない」とお互いにお互いを洗脳し合っている姿はまるでカルトである。
乃南アサのこれ。"I have a Black friend." も問題ですし、「今はもう居なくなってしまった、あの美しい人たち」として書かれているのが、マジでホラー感あります。
— flurry (@flurry) June 30, 2024
そしてこれは、氏が書評を書いた「トランスジェンダーになりたい少女たち」にも共通しているわけですが……https://t.co/DgDR9KbzuP pic.twitter.com/WV7PU8RyAb
あなたは「マンガ嫌韓流」(山野車輪著)を読まない人は、「嫌韓流」を批判すべきではないと言う考えですか?
— みつを_Mitsuwo🇵🇸🇺🇦🇯🇵 (@ura5ch3wo) July 1, 2024
私はあの本を読みましたが、読まなくても差別の記述の問題点をまとめた記事を読めば十分批判することはできると言えます。
むしろ、前提の知識なく差別助長本を読むことを勧めるのは危険です